医療機関にかかったとき、あなたは自分の意思を十分に伝えられていますか? 分からないことや不安を抱えたまま、治療を進めていませんか。また、もしあなたが突然病に倒れて会話ができなくなったとき、ご家族や身近な人は、あなたがどんな治療法や人生の終焉を希望するか、推察できるでしょうか。 自分自身のことだけではありません。身近な人が認知症や重い病気にかかって自らの意思を言葉で伝えることが難しくなったとして、あなたは治療方針を迷わずに選べますか?
こうした迷いや不安を抱えたとき、医療者と患者側とが共に考えていくために重要になるのが「対話のプロセス」です。 患者の自己決定を支える「対話」の本質とは何か、そして医療現場に立ちはだかるハードル、超高齢社会に求められる仕組みとは何か。民事法学の視点から「医療現場における同意と意思決定」を研究する石田 瞳先生に話を聞きました。
INDEX
「説明」から「対話」へ。医療同意の考え方はどう変わってきたのか

医療行為に必要な患者の同意とは
(編集部)今回は「医療現場における同意、対話のプロセス」をテーマに話を進めます。 まず基本的なところで、私たちが病院で治療を受ける際には「医療同意」を行うということですが、これは法的にどんな意味を持つのでしょうか。
(石田先生)医療行為のうち、予防接種から大きな手術に至るまで、本人の身体に侵襲を加えるものについては、原則として患者本人の同意を得たうえで行うことが求められます。これが「医療同意」です。
法的には、受診によって、患者と医療機関との間に診療契約(民法でいう準委任契約の一種と考えられています)が原則として成立します。他方、医療行為は患者の身体に直接関わる行為であるため、患者本人の自己決定を尊重し、十分な説明を受けたうえでの同意が必要になります。 この契約のもと、医療機関・医師の側には治療内容やリスクを説明する「説明義務」が生じ、患者側にも、適切な診療のために必要な情報を伝えるなどの協力が求められます。医療同意はその流れの中に位置づけられます。
(編集部)治療方針に納得して「お願いします」と同意する行為ですね。
(石田先生)そうです。この医療同意、従来は「医師が説明し、患者が書類にサインする」という一方通行のイメージで捉えられがちでした。説明する医師と、それを聞く患者という一方向の関係ですが、この捉え方は望ましくありません。 医療者と患者は、目の前の病気やケガという共通の試練に挑む「ひとつのチーム」なんです。両者は向かい合うのではなく、同じ方向を向くチームのメンバーなんですね。互いに信頼を育みながら、チームで治療を進めていく土台こそが本来の医療同意であるべきだと考えています。
(編集部)なるほど、ひとつのチームという言葉にハッとさせられました。先生が医療同意に関して研究を始められたのはなぜでしょうか?
(石田先生)私が研究を始めたきっかけは、この流れの根底にある患者の「意思決定能力」と民法上の規定のズレに違和感を覚えたことでした。 民法には契約などの法律行為を自ら行うための「行為能力」という概念があります。一方、医療の場では、治療について理解し、選択するための能力が問題になります。では、法律上の行為能力に制限があることと、医療について自分で意思決定できることは、同じなのでしょうか。 たとえば病気や加齢などで意思決定能力が低下したら、ただちに「医療行為に同意する資格」まで一切失われてしまうのか? 法律上の枠組みと医療現場で必要とされる同意能力の関係性を解き明かしたいと考えたことが、研究の出発点でした。
なお、2026年には、成年後見制度を本人の自己決定をより尊重する方向へ見直す民法改正が成立・公布されました(施行は2028年ごろの見込みです)。ただ、意思決定能力が低下した人の医療行為について、誰がどのように意思決定を支え、本人に代わって同意し得るのかという問題は、今回の改正でも明文化されていません。
精神保健福祉法が医療保護入院について同意者等を定めているように、個別法による規定がある場面はありますが、一般の医療について、家族や成年後見人等に包括的な代諾権を認める法律上の規定はなく、ガイドライン等による対応が中心となっているのが現状です。法律上の判断能力と、医療の場で必要とされる同意能力の関係は、依然として残された課題なのです。
患者の意思が重視されるようになった背景
(編集部)かつては「治療方針は医師に任せる」という風潮もあったように思いますが、今のように「患者本人の意思」が重視されるようになった背景には、何があるのでしょうか。
(石田先生)患者の意思を最大限尊重する機運は欧米から広がったものです。大きな歴史的転換点としては、第二次世界大戦後の人権意識の高まりが挙げられます。 第二次世界大戦後、ナチスによる非人道的な人体実験などへの反省から、1947年の「ニュルンベルク綱領」で、医学研究における本人の自発的な同意が原則として掲げられました。その後、1964年の「ヘルシンキ宣言」へと研究倫理は発展していきます。こうした流れに加え、戦前から積み重ねられてきたアメリカの裁判例や戦後の人権意識の高まりなどを背景に、医療の場でも、患者を単なる治療の対象ではなく、自らの身体や治療について意思決定する主体として尊重する考え方が育っていきました。「インフォームド・コンセント」という言葉自体、1950年代のアメリカの判決に由来するものです。 加えて、医学の進歩により、多くの疾患で複数の治療選択肢が存在するようになりました。どれか一つが絶対の正解というわけではない以上、何を選ぶかは本人の価値観に関わる問題になってきたのです。
(編集部)治療効果を最優先にして手術を選ぶのか、生活の質を重視して投薬を選ぶのか、患者側に提示されることもありますね。
(石田先生)たとえば……ある企業の社長が重要な契約を1カ月後に控えている中で病気が発覚したとします。医師から「すぐに入院して手術を受ける方が医学的にはベストです」と言われたとしても、その社長は仕事や従業員の生活への影響を考え、あえて手術の時期をずらすかもしれません。 その選択を最終的にどう受け止めるか、そして何を大切にして治療を選ぶかは、患者本人にしか決められない部分があります。
患者の自己決定を支える「対話」とは?
(編集部)患者本人の価値観が重要になると、医師の役割も単なる病状解説から変化してきますね。
(石田先生)その通りです。裁判例を見ても医療同意の位置づけは大きく変化してきました。代表例として2001年の最高裁判決、いわゆる「乳房温存療法事件」があります。乳がんと診断された女性患者が「可能な限り乳房を残したい」と強く希望していたにもかかわらず、担当医が、手術当時(1991年)まだ比較的新しかった乳房温存療法について、患者が知りたかった具体的な情報を伝えないまま乳房切除術(胸筋温存乳房切除術)を実施したため、説明義務違反が争われた事件です。
裁判では、当時の日本の医療水準では未確立だった療法について、医師にどこまでの説明義務があるかが争われました。最高裁は、その療法を実施している医療機関が少なくなく、相当数の実施例があって、実施した医師の間で積極的な評価もされていること、患者に適応の可能性があること、そして患者がその療法に強い関心を持っていることを医師が知っていたこと——こうした事情の下では、たとえ医師自身がその療法に消極的で、自分では実施するつもりがなかったとしても、その療法の内容や適応可能性、さらには実施している医療機関の名称や所在まで、知る範囲で説明する義務があるとしました。 この判決を受けた差戻審では、実際に説明義務違反が認められました。
この判決は、医療同意を単なる「書類上の許可」ではなく、患者が情報を得て熟慮し、自身の身体や人生に関わる重大な選択を行うプロセスとして考える上で、重要な判決だと捉えています。
医療同意は、書類にサインをすれば終わり、というものではありません。医師が情報を「説明」し、患者の理解や不安を「確認」し、疑問に「応答する」。そうした対話の積み重ねを通じて、患者自身の意思が形成されていくのです。 私は、医療同意の本質は「意思が形成されていく対話の過程そのもの」にあると考えています。
対話はなぜ難しい? 医療現場にあるハードル

対話のプロセスとしてのSDM・ACPという考え方
(編集部)対話を実践するための考え方として、近年注目されているのがSDMやACPですね。
(石田先生)そうです。ワンチームとして互いに納得して治療を進めるための具体策で、患者本人を中心に意思決定を進めるための「考え方」や「プロセス」です。 SDM(Shared Decision Making/協働意思決定)は、主に「いま直面している治療選択」の場で行われます。医療者が持つ専門的な医学情報と、患者が持つ独自の価値観や生活背景を持ち寄り、「共に最適な方針を選択していく」プロセスです。
一方でACP(Advance Care Planning/アドバンス・ケア・プランニング)は、もしもの時に備えて、希望する医療やケアについて前もって考え、家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合い共有する。そうした取り組み全般を指します。日本では、厚生労働省が2018年に公募で「人生会議」という愛称を定め、普及啓発を進めています。 体調や心情の変化に応じて何度も話し合い、再評価していく「対話を絶やさないこと」こそが、患者本人の尊厳と自己決定を最後まで支える鍵になります。
理想と現実のギャップ
(編集部)SDMやACPは理想的ですが、現実の医療現場で実践するのは難しそうですね。
(石田先生)理念は素晴らしいのに、日本の医療現場の実情に目を向けると大きなギャップが存在しています。大きな課題の一つはリソース不足……なのですが、課題の本質を掘り下げると、制度の形式だけを移植しようとする点に無理があるのです。 SDMやACPは欧米を中心に発展した概念ですが、日本とは医療制度や文化、家族の関わり方などの前提が異なります。さらに、日本の医療現場では人的・時間的な余裕も限られています。海外の仕組みをそのまま導入するのではなく、日本の医療現場に合った形で対話を支える仕組みを考える必要があります。
単に対話を義務として課すだけでは医療従事者が疲弊し、その歪みはいずれ患者側に跳ね返ってしまう。診療報酬でも一部は評価され始めていますが、対話に費やす時間や労力を適切に評価する仕組みとしてはまだ十分とはいえません。そうした点を含め、慎重かつ現実的な制度設計を行わなければ現場は立ち行かなくなります。
(編集部)日本の医療制度の長所を維持しつつ、必要なリソースを制度設計でどうカバーしていくかという検討が重要ですね。
(石田先生)対話にリソースを割く余裕のない現場では、ACPが書類の作成や同意取得といった形式的な手続きとして理解されてしまうことがあります。しかし重要なのは繰り返し話し合う過程であって形骸化した書類手続きではありません。根本的な理解不足の解消を含め、実践できる土壌づくりを考えていきたいと思います。
自分らしい治療につなげる医療現場の対話へ
(編集部)私たち患者側の意識や姿勢についても見直すべき点があるのでしょうか。
(石田先生)はい。実は、患者側の“任せきりの姿勢”も対話を阻む要因です。 皆さん、高額な家電製品やスマートフォンを買うときは、カタログを読み比べたり、店員に「この機能とあの機能はどう違うの?」「自分の使い方に合うのはどれ?」と質問したりしますよね。ところが医療のことになると、急に「医師にお任せします」「専門知識がないから何も言えない」と気後れして質問を諦めてしまう人が実に多いのです。
病院によっては退院後の生活や福祉制度の相談に乗ってくれる医療ソーシャルワーカーなどの専門職も在籍していますが、知られていないケースも目立ちます。 人生の主役は自分自身。「他にどんな治療法があるのか」「生活はどう変わるのか」と疑問を口にすることも、対話をつくる大切な一歩です。
「判断が難しい人」はどうする? 本人の意思決定を尊重するために

「この人には無理」と決めつけない
(編集部)超高齢社会で認知症患者も増える中、病気などで意思表示が難しい方の意思決定には、どう向き合うべきでしょうか。
(石田先生)そこは私が今後の研究課題として挙げているテーマです。 まず、「この人は認知症だから」「高齢で理解力が落ちているから」と、最初から判断能力がないと決めつけるのはNGです。法律上の行為能力と現場での意思決定能力はイコールではありませんし、能力はある/ないの二択ではなく、内容の難易度や支援によってグラデーションのように変化します。
実際には難しい手術の説明も、内容をかみ砕いたり繰り返し確認したり、親しい人に同席してもらうことで希望を表明できるケースが多く存在します。また、明確に言葉で表現することが難しい場合でも、表情や反応などは、本人の意思や選好を理解するための重要な手がかりになります。まずは本人が意思を表明できるよう極限まで支援を尽くすこと。これが意思決定支援の第一歩です。
大切なのは、本人の価値観をどうくみ取るか
(編集部)重度の意識障害などで意思確認がどうしても難しい状況では、どのように探っていけばよいのでしょうか。
(石田先生)支援を尽くしても不可能な場合、そこで初めて「推定意思」を手がかりにするフェーズへと移ります。推定意思とは、「その人が元気だった頃に示していた考えや、これまでの人生で大切にしてきた価値観」から、もし今本人に意識があったら何を望むだろうかと推察するプロセスのことです。
医学的な最善策と本人が望む生き方は必ずしも一致しません。だからこそ本人の過去の言葉や人柄を手がかりに、周囲が対話を重ねながら、本人なら何を望むのかをできる限り丁寧に探っていくプロセスが大切になるのです。 それでも本人の意思が推定できない場合は、家族等と医療・ケアチームが十分に話し合い、本人にとって何が最善かを慎重に判断していくことになります。厚生労働省のガイドラインも、この順序を明確に示しています。
対話を支える「橋渡し役」が重要になる
(編集部)丁寧な対話を重ねるには、多忙な医療従事者だけに頼らない体制が必要になりますね。
(石田先生)患者の深い思いをくみ取る役割を、医師や看護師だけに委ねる現状には、構造的な限界があります。 欧米の医療現場では、臨床倫理コンサルタントなど、患者・家族と医療者の意思決定やコミュニケーションを支援する専門人材が関わる例があります。診療を直接担う立場とは異なる視点から、患者と医療者をつなぐ「橋渡し役」として機能することが期待されています。 日本でも臨床倫理委員会などの取り組みは広がりつつありますが、多くは個別の困難事例への対応が中心で、日常の対話を継続的に支える体制にはなっていません。 そこで、先ほど触れた医療ソーシャルワーカーやケアの調整を担う専門職の役割を拡大すると共に、患者の価値観を継続的に把握し、医療・ケアチームとの共有を支援する専門人材を医療現場に社会実装していく必要があると考えます。
納得できる治療のために、社会でめざすこと、誰もができること

法律ができること、できないこと
(編集部)「医療同意やACPを法律で規定すべき」という意見もあるようですが、先生はどう考えますか。
(石田先生)私は法制化には慎重な考えです。法制化によって最低限の基準を示し、手続きの透明性を高めるメリットはありますが、患者の病状や人生観は誰一人として同じではありません。また、画一的なルールを機械的に当てはめようとすれば現場は混乱するでしょう。 最も懸念されるのは、現場が「患者の思いをどう尊重するか」という本質を置き去りにし、「法律で定められた手続きを踏んだか」「指定の書類にサインをもらったか」という形式的な確認と責任回避に走ってしまうことです。
(編集部)本末転倒な事態を招くかも……というご懸念をふまえると、たしかに法整備だけが正解とは言えませんね。
(石田先生)そこで私は、より柔軟な「ガイドライン」による運用が望ましいと考えています。実際に、厚生労働省のガイドラインは、2007年の策定時には「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」という名称でしたが、2015年に「人生の最終段階における医療」へ、さらに2018年の改訂では「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」へと名称が変わり、ACPの概念も組み込まれました。 社会の状況に応じてこれだけ機動的に見直せるのは、ガイドラインならではです。現場の対話を柔軟に支える仕組みとしては、法律よりもガイドラインの方が、多様な状況に柔軟に対応しやすいのではないでしょうか。
今日から始められる「対話」の一歩
(編集部)ここまで制度や現場の課題について聞いてきましたが、私たちが納得のいく医療を受けるために「今日から始められること」は何でしょうか。
(石田先生)特に終末期をイメージすると、「難しいことは専門家に任せればいい」「自分が年寄りになってから考えればいい」と他人事として捉えがちですが、突然の事故や急病で意思を伝えられなくなる可能性は誰にでもあります。 だからこそ元気な「今」のうちから、自分が人生で何を大切にしているかという価値観を、家族や身近な人と少しずつ話しておくこと。これこそが今日から始められる最も確実な一歩です。
細かく指定しなくていいし、難しく考えなくていいんです。「できるだけ家族と過ごしたい」「苦痛をできるだけ避けたい」「家族に負担をかける延命は望まない」といった大まかな好みや価値観を共有しておくだけでもいいんです。そのヒントがあるだけで、万が一の際に家族や医療者が治療方針を考える際の重要な手がかりとなり、本人の思いに沿った治療方針を選ぶ道標となります。
(編集部)「人生で優先したい価値観」といった話題なら共有しやすそうです。
(石田先生)私自身の体験をお話ししましょう。父が突然の発作で倒れ、意識が戻らないまま2週間後に亡くなりました。しかし父は生前、10年以上にわたって折に触れて「自分はチューブだらけになってでも生きていたい」と家族に明確な意思を伝えていました。理由を尋ねると「たとえ自分の意識がなくても、家族が周りに集まってくれているという安心感の中で過ごしたいからだ」と語っていたのです。
病院に搬送され意識が戻る見込みがないと告げられたとき、私たち家族は病院側に父の意向を伝え、最大限の延命治療を依頼しました。後日、父は静かに息を引き取りましたが、「家族として、本人の望む通りにしてあげられた」と納得して看取ることができました。
(編集部)まさに、事前の対話を通じてお父様の確固たる価値観を知っていたからこそ、できた判断ですね。
(石田先生)ACPやSDMといった難しい専門用語を覚える必要はありません。重要なのは、形式的な書類のサインではなく、その人の価値観について耳を傾ける「対話のプロセス」そのものだということを忘れないでください。 病院の外で、家庭の中で、今日から交わされる些細な会話こそが、いざというときの医療の意思決定を支える大切な土台になります。
まとめ
医療の意思決定に向き合うとき、私たちはつい「誰が最終的な決断を下すのか」という責任の所在に目を奪われがちです。しかし、石田先生のお話の根底にあったのは、「重要なのは誰が決めるかではなく、本人の生きてきた歩みや価値観をいかに尊重するかを共に悩み、考える対話のプロセスである」というゆるぎない視点でした。 自分が大切にしたい生き方は何か。まずは家族や身近な人と、そんな問いを言葉にすることから、未来の医療を支える対話が始まるのかもしれません。
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