都市生活がますます便利になる一方で、孤独や居場所のなさに悩む人々の「社会的孤立」が、いま大きな社会課題となっています。人が多く集まる都市部であっても、つながりや交流が欠如してしまう――。そんな矛盾が、現代社会で起きています。
「私たちが安心して暮らせる都市とは、どのようなものなのか。建築や風景、地域コミュニティは、人の孤独を和らげることができるのだろうか。」こうした問いに向き合っているのが、地域創造学部の髙嶺翔太准教授です。人々が孤立せず安心して存在できる居場所を、都市の中にどう育てていくことができるのでしょうか。そのヒントを探ります。
INDEX
「ご近所付き合い」を設計した郊外のまちづくり

千里ニュータウンに見る『近隣住区論』の実践
(編集部)今日は「孤独を生まない都市計画」をテーマに先生にナビゲートいただきます。そもそも都市計画という概念は、いつ頃生まれたのでしょうか。
(髙嶺先生)古代ギリシャにはすでに計画的な都市整備が行われています。しかし都市計画が大きく発展したのは近代と言われています。19世紀に欧米で工業化が進み、大規模都市が形成されると、排ガスや住宅の過密化が問題に。そこから都市計画の必要性が国家課題として認識され、大きく発展しました。最初は上下水道などのインフラ整備が中心でしたが、次第に都市住民の暮らしをどう守るかが課題となっていきます。
その流れの中で生まれたのが、約100年前の1924年に提唱された『近隣住区論』です。アメリカの社会・教育運動家で地域計画研究者のC.A.ペリー(1872-1944)が提唱しています。この理論は、5000人程度の住む地域空間をひとつのコミュニティ単位とし、小学校や公園や店舗、公共施設等を計画的に配置することで、良好な社会を築きながら暮らせる住宅地を目指す考え方です。
(編集部)いわば「ご近所付き合い」を設計したものですね。日本での適用事例はあるのでしょうか?
(髙嶺先生)身近な例だと、大阪・北摂にある千里ニュータウンも、『近隣住区論』の考え方が活かされています。千里ニュータウンが開発されたのは、高度経済成長期の都市部への人口集中による住宅不足を受け、日本各地の郊外でニュータウン開発が進む時期でした。 大阪市近郊の広大な丘陵地を大阪府が独立採算で開発し、1962年に入居が始まった千里ニュータウンでは、住区の中心に日用品店や郵便局、銭湯などの入った「近隣センター」が置かれました。当時はまだ一般家庭に浴室や冷蔵庫が十分普及しておらず、日常的に徒歩で買い物や銭湯に行く時代だったことから、自動車中心ではなく、歩行者の生活動線を軸に設計されています。 このような計画に加え、子供を持つ世帯が同時に大量に流入したことなども要因となり、住民同士が顔を合わせる機会は多かったでしょう。今日と比較すると「ご近所付き合い」が自然と生まれやすかったと思います。
(編集部)なるほど、生活の中でコミュニティが育まれていったのですね。
都市は変化し続ける。「二つの老い」が招いた社会的孤立
(髙嶺先生)しかしその後、日本各地のニュータウンは住民の高齢化と施設の老朽化という、「二つの老い」に直面します。 現在の千里ニュータウンは、大阪市内へのアクセスの良さから一部の住区では集合住宅の建て替えが進み、人口も増加傾向へと転じています。しかし、開発当初に入居した住民の多くは高齢化し、独りぐらしとなっている人も少なくありません。「近隣センター」も商業的に衰退傾向にあるため、孤立のリスクが高まっていると言えるでしょう。
(編集部)解決策はあるのでしょうか?
(髙嶺先生)非常に難しい問題です。そんな中注目されている取組の一つに、「子ども食堂」などを含むコミュニティスペース(コミュニティカフェなど)運営が挙げられます。数は限られていますが、千里ニュータウンでも、「近隣センター」の店舗空間を活用したコミュニティスペースがあります。
(編集部)以前からの住民と、新たな住民が交流する場となっているのでしょうか?
(髙嶺先生)そうした交流が生まれることも期待されていますが、実際には簡単ではありません。運営者によると、イベントを通じて、同じ空間を共有するところまでは実現しているようです。ただし住民同士を結びつけるには、細やかな人的介入が必要です。 これまでの都市計画がやってきたことの中心は、どのような施設をいかに配置するかというものです。だからこそ、新たな視点が求められているのです。
都市計画は、人を孤独から救えるか?

地域に広がる「居場所」の実践
(編集部)先生のご研究から見えてきた、居場所づくりの方法を教えてください。
(髙嶺先生)さまざまな事例を調査するなかで可能性を感じたのが、「+居場所」とでも言うような、居場所づくり活動です。経済的にある程度持続の見込める経営母体事業を営みつつ、オフィスなど事業所の一部を「居場所」として一般住民向けに開くことです。 居場所を提供しながら情報やビジネスチャンスを得て、経営母体の事業にもメリットをもたらすという発想で、福祉施設や子育て支援広場、デザイン事務所などが施設の一部を地域に開放している事例があります。
また、こうした事例を調べるきっかけとなったのは、堺市の商店街にあるとある診療所が、空き店舗を活用して運営するコミュニティスペースとの出会いです。
(編集部)診療所の待合室が地域の高齢者のコミュニティになっている、というのはよくある話ですが、それを外部に設けたのがポイントですね。なぜこのような取り組みを?
(髙嶺先生)診療所の先生の話では、日頃原因不明の症状を訴える患者さんが多かったそうです。それら患者さんによくよく話を聞くと、独居で引きこもりがち、地域に馴染めていないなどの背景が見えてきた。そこで薬ではなく“居場所を処方する”という発想が生まれたそうです。 これは最近日本でも広まりつつある「社会的処方」という概念にあたります。これは、薬を処方する代わりに地域の社会資源を活用して人々のつながりをつくり、患者や地域住民の心身の健康を向上するためのアプローチです。
(編集部)非常にわかりやすい「処方」ですね。
(髙嶺先生)そうですね。「+居場所」の例ということもできます。
「居場所」と「出番」はセットである
(髙嶺先生)「居場所づくり」は、教育現場でも語られるワードです。そもそも日本で「居場所づくり」が注目を浴び始めたのは1980年代のこと。不登校児童・生徒や少年犯罪の増加の背景に「学校にも家にも居場所がない」という状況が見えてきたことから、フリースクールが始まりました。
またこうした経緯から、「彼らが求める居場所とは何か?」という議論が教育学研究者の間で活発になされました。私はそこに着目し、過去の議論を分析して、居場所を感じるための3つの条件を見出しました。
(編集部)その3つの条件とは?
(髙嶺先生)①自己受容感、②自己効力感、③人との交流です。端的に言えば、「自分は自分らしくいて良いんだという実感」と「活躍できているという実感」が、人との交流を基盤に生まれるということですね。「自分らしくいていい」と思うには役割が必要で、「ここで活躍できている」と思うには受け入れられている実感が必要です。つまり「居場所」と「出番」はセットで、どちらかが実現すれば、もう一方も生まれやすくなります。私は、居場所づくりのことを分かりやすく説明する時には「生かし生かされる関係が生まれる場所づくり」と言うこともあります。
(編集部)なるほど。ですが、コミュニティを継続的に運営するのは大変ですし、興味はあってもコミュニティに参加すること自体を躊躇する人もいるのではないでしょうか。
(髙嶺先生)そうです。運営者をどう育成・継承していくかといった問題もありますし、利用者の心理的なハードルをどう下げるかといったことも課題ですね。
建築や風景は、人の感情に作用する
(編集部)利用者の心理的ハードルを下げるにはどうしたら良いのでしょう?
(髙嶺先生)以前、古い団地の高齢者を対象に「孤独感の程度と希望施設の関係」を調査したところ、孤独感が強い方はコミュニティ参加への忌避感があり、ひとりで滞在できるベンチや遊具を望む傾向がありました。 コミュニティスペースへの訪問に至る前の段階として、まちに出たときに自然な交流が生まれる場所や、なんとなく好きだと感じる風景があることが大切なのでしょう。人々の孤独度に応じて段階的にアプローチできる、裾野の広いまちづくりが必要だと考えます。近年、都心部に芝生広場が増えているのも、こうした段階的アプローチの都市計画として捉えられますね。
(編集部)誰かとの交流がなくても、私たちは居場所を感じることはできるのでしょうか。
(髙嶺先生)難しいところですが、必ずしも人と人との直接的な交流がなくても、ここが「居場所」だと感じられるような事はあるでしょう。例えば、建物や風景の在り方によっては、人々の不安を取り除けると考えています。
私がこうしたインスピレーションを得たのが、シアトルのアジア系移民の多く住む街で目にした風景でした。19世紀後半から、シアトルには日本人労働者が多く移住しています。しかし第二次世界大戦のときには強制収容されたという、痛ましい歴史もあります。そのような歴史の舞台となったまちで、その記憶を継承するように、古い建物を保存したり、パブリックアートを設置したりするような活動が行われています。このような風景づくりは、日系人に限らず、社会的なマイノリティを勇気づけるメッセージになっていると思います。
(編集部)まちの風景が優しいメッセージを発信しているのですね。
(髙嶺先生)もう一方で、逆方向のメッセージを放つ風景も存在していると思います。例えば、高度経済成長期に建てられた無機質住棟の並ぶ団地は、「効率よく労働者を住まわせる」というメッセージを体現しているといえます。ちょっと冷たいメッセージですね…。 このように建物や風景は、冷たい空気も温かい空気も流すことができます。都市計画において孤独や不安への多様なアプローチを検討するうえで、重要な視点だと考えています。
『ソシオの年輪』が掘り起こした“まちの記憶”と共有の試み

建物や風景のメッセージを読み取る
(髙嶺先生)これからのまちづくりで重要なのは、優しいメッセージを持つ建物や風景をふやすこと、そしてそれに合わせて、建物のメッセージを読み取るリテラシーのような力を、多くの人が持つことではないかと考えています。例えば、『ブラタモリ』は有名な番組ですが、あの番組の中で出演者がまちの何気ない風景を面白がっていたりします。
(編集部)街をぶらぶら歩きながら、知られざる歴史や自然の地形、人々の暮らしに迫るNHKの番組ですね。
(髙嶺先生)私はあの番組が好きなのですが、たとえば「この坂道が何を意味しているのか」がわかると、雄大な歴史の中に自分が立っている実感が得られてワクワクしますよね。
(編集部)なるほど、あの番組を楽しめる人は、一定のリテラシーを持っていると(笑)
(髙嶺先生)ええ(笑)。ただ残念ながら今は、経済的合理性が生んだ画一的な建物や風景に慣れてしまい、そのリテラシーを活かすような機会が減っているのではないでしょうか。そこで私は地域創造学科の学生とともに、『ソシオ茨木』(以下、ソシオ)をリサーチする取り組みを行いました。
(編集部)本学総持寺キャンパスの近く、阪急茨木市駅前にある複合ビルですね。
(髙嶺先生)ソシオも千里ニュータウンと同じく、高度経済成長期に整備された建築であり、当時の都市の発展や人々の暮らしの記憶を今に伝える存在です。ソシオ開業から半世紀以上が経つ現在は、駅前の大規模な建て替え・再整備事業が計画されており、シャッターを閉めた店が多いのは事実です。しかし、まだ営業しているお店もちゃんとあります。なにより、ソシオの話を市民の方々とすると、大抵盛り上がります。それだけ多くの市民から愛着を持たれているのでしょう。
私はカメラマンとして活動した時期があるのですが、ソシオは建物に刻まれている人や暮らしの痕跡が実にフォトジェニックな点も特徴です。そこでゼミの学生をソシオに連れて行き、「ここで感じるものを表現してごらん」と解き放ったのです。
(編集部)学生たちは、どのようなメッセージを読み取ったのでしょう。
(髙嶺先生)ソシオ内の商店街の看板を撮影して回り、昔の賑わいや店の多様性を空間から読み取り、「人間らしい違和感をこの建物には感じる」と言語化した学生がいます。また床タイルの劣化から人の流れを読み取った学生、「お化けが出るのでは」と調査して短編小説にアウトプットした学生、店主のインタビューから、時代の変化に対する寂しさとそれを受け止める生き様を表現した学生など、さまざまでした。
“まちの記憶”をつなぐ展示企画『ソシオの年輪』
(髙嶺先生)そうした成果を持って、2026年3月に、『ソシオの年輪-半世紀にわたる歴史の縁-』という展示会を開催しました。ソシオで働く方々や茨木市民を中心に、3日間で133名の方に来ていただきました。来訪者からは、「ソシオへの見方が変わった」といった感想を多くいただきました。まちの人々の視点・感受性を変えることが、ある程度できたイベントになったと感じています。
(編集部)学生からまちの人々へと、先生はリテラシーを広げようと試みられているのですね。
(髙嶺先生)人々を孤独にしない都市計画にはさまざまなアプローチが必要ですが、現在切り拓こうとしているのがこのような風景をめぐるリテラシーの涵養ですね。本学を拠点に取り組みたいと考えています。

これからの都市計画で求められる視点
(編集部)社会的孤立や居場所づくりの問題は、行政だけでの解決は難しそうです。
(髙嶺先生)民間・大学・地域住民が、それぞれの立場から関わり合いながら支えていく必要があります。建築やまちづくりは工学系だけの領域ではありません。さまざまな計画にはクライアントやユーザーが存在しています。だからこそ、私のいる地域創造学部で学んでいる文系の学生もそうですし、その他都市で暮らすさまざまな人々が、建物や風景に関心を持ち、それが人の孤独や安心にどう影響するかを知ってほしいと願っています。
(編集部)自身が住居や店舗などの建設に関わるときに、それが都市にどのような役割を果たすのか。また、居心地の良いまちづくりや風景にどのように貢献できるのかまで、意識できる人が増えると良いですね。
(髙嶺先生)そうですね。茨木市には『おにクル』という文化・子育て複合施設 があるのですが、事業計画を立てるにあたり、市民を巻き込むワークショップが100回以上開催されたと聞きました。このように今後のまちづくりでは、市民が声を挙げる機会が増えていくことでしょう。そうした機会を逃さないためにも、アンテナを立てられる人々が増えることを願っています。
まとめ
都市計画というと、道路や建物の配置を考えるものと思われがちです。しかし今回のお話から見えてきたのは、人と人との関係や、安心して過ごせる「居場所」もまた、まちづくりの重要なテーマだということでした。髙嶺先生の研究や実践から、まちづくりを私たち市民一人ひとりのものとして捉えることの大切さにも気づかされました。
千里ニュータウンの事例や「ソシオの年輪」の取り組みは、建築や風景の中に、人々の暮らしや記憶が刻まれていることを教えてくれます。まずは身近なまちを少し違う視点で眺めてみることが、地域との新たな関わり方を見つける第一歩になるのかもしれません。
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