人気作家・池井戸潤氏の作品で2015年にテレビドラマ化もされた『下町ロケット2 ガウディ計画』。ストーリーのカギを握るのは、「ガウディ」と呼ばれる医療機器の開発の行方でした。ガウディ開発の発端は、山崎育三郎さん演じる大学研究員の真野賢作から、主人公・佃航平が率いる佃製作所に持ち込まれた依頼。実はこのエピソード、実際の逸話を元に創作されており、真野賢作の役割にもモデルがいました。それが「産学連携コーディネーター」と呼ばれる存在です。
大学の研究は、企業によって社会実装されることで人々の生活や医療の向上に貢献します。一方、企業にとっては新たなビジネスを生むチャンスであり、ひいては日本の経済・産業競争力を高めることにも繋がります。
さて、2021年度からスタートした内閣府による第6期科学技術・イノベーション基本計画では「社会課題を解決するための研究開発・社会実装の推進と総合知の活用」が盛り込まれており、その橋渡し役となる産学連携コーディネーターには大きな期待がかけられています。そんな産学連携コーディネーターの仕事を私たちはどれほど知っているでしょうか?
今回は『下町ロケット2 ガウディ計画』執筆当時の池井戸潤氏から取材を受け、リアル「ガウディ計画」の実現に奔走した、産学連携が専門の辻野泰充特別教授に産学連携コーディネーターとは何か、について聞きました。
INDEX
産学連携コーディネーターって何者?
研究とビジネスの現場にある熱意を繋ぐ
(編集部)近年「産学連携」という言葉を良く耳にしますが、産学連携コーディネーターとはどういった仕事なのでしょうか?
(辻野さん)産学連携コーディネーターは、社会的課題の解決に向けた研究の成果と、それを形にできる企業とをビジネスプロジェクトとして結びつけ、成功に導く仕事です。
立場によって活動方法に多少の違いはありますが、例えば大学に所属する産学連携コーディネーターの場合、研究室の研究内容を把握し、どんな企業とマッチングできるかを構想するところから始まります。私自身は産学連携事業を行う法人の役員も務めていて、その立場では新しい会社の設立を提案することもあります。
いずれにせよ、根っこにあるのは「研究者の研究を世に送り出すことで、より良い社会づくりに貢献したい」という思いです。研究者のアイデアや情熱があり、そこに賛同してくれる企業があって初めて成り立つのが産学連携。 私の役割は、両者の熱意を結びつけることです。
(編集部)社会課題の解決に向けた研究を社会実装に繋げるとは、夢のある仕事ですね。
(辻野さん)確かに、企業に新たな事業ビジョンを提供することもできますし、夢のある仕事ですね。 と言っても、実際の仕事は地味で地道なものですよ。『下町ロケット2 ガウディ計画』を読んだ方ならご存じだと思いますが、研究員の真野賢作が佃製作所に共同開発を持ちかけても、当初は断られてしまいます。新たなビジネスチャンスと言えど多大なコストと時間をかけて挑むわけですから、すぐにイエスと返してくれる企業は多くはありません。
共同開発できる企業探しや法令、特許、資金面などさまざまな問題を一つずつクリアし、関わる人すべてが満足できるゴールへと向かうこと。これが産学連携コーディネーターの仕事であり、容易ではありませんがその分やりがいも感じます。
『下町ロケット2 ガウディ計画』のリアル
「ガウディ計画」は実在した!
(編集部)『下町ロケット2 ガウディ計画』のお話が出ましたが、辻野さんの産学連携コーディネーターとしての役割は、真野賢作というキャラクターのモデルになったと聞きました。「ガウディ計画」も実際のエピソードが元になっているのですか?
(辻野さん)そうです。小説では、主人公達が心臓の人工弁の開発に挑む姿が描かれていますよね。 元になったのは、先天性心臓疾患を抱える子どもの手術に用いる“心臓修復パッチ”の産学連携事業です。
2015年、私が大阪の医療系私立大学に所属していた頃の話です。とある研究熱心な心臓外科医が「子どもの心臓病を治したい」と、体(心臓)の成長に耐えられる心臓修復パッチ=医療材料を求めていました。心臓修復パッチとは心臓血管手術の際に欠けている組織を補填したりして使うのですが、従来の素材だと材質の経年劣化や伸展性に課題があったのです。
「無いのなら自分たちでなんとかしよう」と共同で開発してくれるメーカーを探していたある日、偶然にも技術力のある福井県の繊維メーカー(http://www.fukutate.co.jp/rocket/)の新聞広告が目にとまり、連絡を取ったのが後に有名になる「ガウディ計画」の始まりです。この繊維メーカーが我々の意志に賛同してくださって、産学連携がスタートしました。
(編集部)大阪府と福井県、かなり遠距離の産学連携ですね。
(辻野さん)この繊維メーカーは福井県のアパレル市場が斜陽化する中、「衣料から医療へ」を合言葉に新技術の開発でメディカル分野への挑戦を続ける熱意ある企業です。まさに両者の熱意がうまくマッチしたんですね。今の時代、距離は問題になりません。
さらに共同開発に大手繊維メーカーを迎えて、丈夫で伸びのある補修用医療材料を開発しました。
真野賢作の行動は産学連携コーディネーターそのもの
(編集部)小説の中で研究室と企業を繋いだキャラクター・真野賢作は、大学の研究員という設定でした。
(辻野さん)『下町ロケット』作者の池井戸潤さんとは、福井の繊維メーカーのご紹介でお目にかかりました。取材を進める中で産学連携コーディネーターの存在を知ったそうで、その役割を真野に投影したのではないでしょうか。池井戸さんは実際に大学病院にも来院され、手術の現場にも立ち会われました。そして心臓修復パッチの産学連携エピソードを元にストーリーを練り直し、真野の登場と役割を大幅に増やしたと聞いています。
(編集部)池井戸潤さんにとって、それほど産学連携による開発話のインパクトが大きかったということでしょうね。
(辻野さん)産学連携コーディネーターはあまり知られていない存在ですが、その役割を取り上げていただいたおかげで、研究室の成果と企業とが繋がり、新しい価値を発信するという形が多くの人の目にふれたことはとても嬉しいです。
これまでに手がけた産学連携の成果は?
(編集部)他に、これまで携わった取り組みではどういったものがありますか。
(辻野さん)医療系私立大学時代の代表的な取り組みとしては、携帯型超音波画像診断装置--私たちは通称「目で診る聴診器」と呼んでいました--があります。
当時の看護学部の教員からのアイデアで、生体内画像を簡単に確認できる装置です。3つの大学、5つの企業でコンソーシアムを組み、試作を繰り返していました。現在も開発が進んでいます。
産学連携プロジェクトの描き方
商品化を前提にすると理系学部発信が圧倒的
(辻野さん)工学部、医学部、薬学部、近年だと情報系学部(IT、AI)など、総じて理系学部が多いですね。
特に多いのは医学系で、これは研究者自身が開発元であり消費先でもあることが関係しています。先ほどお話ししたような心臓修復パッチなどはまさにそれです。自分のニーズを製品化し、医療現場に普及させていくことでビジネスにもなる、というわけです。
他に特長としては、情報学系は研究成果がそのまま実用化されることが多いですね。プログラミングでシステムを構築する場合でも大掛かりな設備投資が不要で、研究者自らで完結できるためです。
また工学系であれば、基礎研究の成果を企業によって社会的に有用なものへと転換します。ただし、基礎研究という性格上、研究の時点で製品化までをイメージしておらず、実用を手掛ける企業のニーズとのすり合わせが難しい点です。
産学連携はものづくりに繋げることが多いので、この点においては今のところ文系学部発の事例は少ない傾向にあります。
コーディネーターは翻訳者であり通訳者
(編集部)なるほど。では賛同してくれる企業はどうやって探しますか?
(辻野さん)いろんな業界にアンテナを張っておき、研究成果をみすえて、まだ花開く前のタイミングで企業を訪問します。研究内容をプレゼンして、一緒に開発をやってもらえませんかと打診する。賛同してくれる企業さんに出会えるまで、ひたすら地道に続けます。
仮に共同チームを組めたとしても、詳細を詰める段階で齟齬が発生し、白紙になってしまうこともあって……スクラップアンドビルドを繰り返しながら産学連携の実現に向けて進みます。
販売を担当する企業は未来のビジネスとして成り立つかどうか、シビアな部分もありますので、企業との予算交渉も必須ですね。案件が成立したら研究の進捗や資金面のやりくり、マーケティングについて、それぞれ担当者と話をしながら計画に沿って管理し、プロジェクトを支えます。
(編集部)プロジェクト完了までどの程度かかるのか、想像もつきません。
(辻野さん)販売まで視野に入れた研究開発の場合、5年以上かかることがざらです。医療系は特に長く、例えば「ガウディ計画」のモデルになったような医療系の案件は、治験や承認を得るためのプロセスが必要で、10年以上はかかります。製品化や特許申請だけでなく、厚生労働省の認可なども必要なため、長期プロジェクトになる傾向があります。
ちなみに、常に10件ほどのプロジェクトに携わっていて、1件あたりの年間予算が平均で1億円ほど。 ざっくりと言えば毎年10億円分の事業を動かしていることになります。
(編集部)規模の大きさに驚きました。それだけ多くの案件に関わるということは、さまざまな研究に関する専門的な知識をカバーしているということですか?
(辻野さん)ある程度の素養があると研究への理解が早いことは確かでしょうが、必須ではありません。それよりも必要とされるのは、研究者・メーカーと円滑にコミュニケーションする力です。研究者は専門分野ならではの用語で話すので、メーカーは研究者とイメージを共有するだけでも大きな労力を要します。そうしたお互いのギャップを埋める役割が産学連携コーディネーター。我々は翻訳者であり通訳者でもあるんです。
産学連携のカタチ
ベンチャーに憧れながら、研究を掛け合わせることにワクワクした
(編集部)研究をビジネスに発展させるには、さまざまなことを管理・推進していく力が必要なんですね。それにしても産学連携コーディネーターという肩書きはまだまだ珍しい気がします。辻野さんはどうして今の仕事を選んだのですか?
(辻野さん)2000年代初頭、大阪大学大学院の経済学研究科に所属していました。 今ほど産学連携は盛んではなく、研究を元に起業する気運が高まりつつある時代。
ちょうど大学の医学部に端を発したベンチャー企業(現在のアンジェス株式会社、株式会社総医研ホールディングスなど)が上場を始めた時期で、私も起業に憧れを持っていました。そこで、大阪大学にあった研究を起業に繋げる支援をする組織「ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー」の活動に参加したことが、今に繋がっています。
いろんな研究室で話を聞くうちに、研究室どうしの横の繋がりが意外と少ないことに気付き、「あの研究とこの研究を組み合わせればおもしろいんじゃないか」とアイデアがどんどん浮かんだんです。そういったことの積み重ねで、研究室どうしや研究室と企業を繋げるという活動におもしろさを見出しました。
今、産学連携に対する各大学の取り組みは?
(編集部)経済産業省は「次代を支える新産業の創出」を目指して産学連携事業を推進していますね。各大学で産学連携事業への取り組みが進んでいるのでしょうか。
(辻野さん)国内の大学の状況でいえば、産学連携コーディネーターの配置は国立大学を筆頭に進みつつあります。ですがその状況は大学によって大きく違いますね。
産学連携の件数も金額も、全体の規模は年々大きくなりつつあり、中でも最大規模を誇るのが東京大学です(※)。これは大学を挙げて組織化・システム化して産学連携に取り組んだことが大きいでしょう。続く大阪大学や京都大学は、大学を挙げてというよりも、担当部署の力量によるところが大きいという印象を受けています。
推進役がいるかどうか、また産学連携コーディネーターが活躍できる組織かどうかが、大学ごとの違いを生んでいるのではと感じます。
喫緊の課題は人材育成
(編集部)となると今後、産学連携がもっと盛り上がるためにはコーディネーターが多く輩出されることに期待したいですね。
(辻野さん)そうですね。ただ、人材育成が課題です。
そもそも産学連携コーディネーターってどうやってなるの?と疑問に思われる方もいると思います。実のところ、いま大学に所属して産学連携コーディネーターとして活動している人材は、研究者から転身した人や企業のOBなど年配の人の割合が圧倒的に高いです。というのも社会経験が長く、広い人脈を持つ人が相談役のように研究室と企業と結びつける役を担っているケースが多いんですね。しかし、その人が引退してしまえば「次」に続かないことが問題です。
私の場合は、大学院修了後、経済産業省の外郭団体である国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構のフェロー(特別研究員)として産学連携コーディネーターのノウハウを学びました。
当時、フェローを対象にした育成プログラムがあったんです。しかし現在はその制度もなくなり、世代的なブランクができていることがもどかしい。産学連携コーディネーターは医師や弁護士のように資格が必要な業務ではありませんが、育成制度は必要だと感じています。
追手門学院大学での産学連携、始まる
心理学領域でのAI研究という斬新さ
(編集部)辻野さんは2021年7月に追大に着任しましたが、本学ではどういった展開を予定していますか?
(辻野さん)まず心理学部での産学連携の実現を目指します。 先ほどもふれましたが、文系学部での産学連携は数ある案件の中でもとても珍しいです。
扱うのは心理学部心理学科 人工知能・認知科学専攻のAI (人工知能)に関する研究なので理系寄りの話なのですが、それを心理学部の領域で適用するところに面白さを感じています。
まだ着任して日が浅いので、今は周辺企業とのネットワークを広げているところです。ありがたいことに企業側から「何か一緒にできないか」と声をかけていただくこともあり、うまい具合にマッチングしていければいいなと思っています。
今、内閣府が進める「第6期科学技術・イノベーション基本計画」(リンク:https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/index6.html)では、従来の理系偏重から転換し、人文・社会科学と自然科学の融合による「総合知」の活用がうたわれています。 産学連携においても人文・社会科学の見直しが進んでいて、産学連携コーディネーターの活動の幅はますます広がるでしょう。
追大は人文・社会科学領域の研究者が中心ですが、人工知能・認知科学専攻での産学連携を皮切りに、AIと他の文系学部の研究を掛け合わせて発展的な提案をしていきたいと考えています。 社会背景を追い風に、研究領域の枠にとらわれない、新しい産学連携のカタチを創造していきます。
まとめ
編集部のわずか2メートル先の席に『下町ロケット2 ガウディ計画』の登場人物のモデルとなった人がいると知り、驚きました。
2022年2月、文部科学省から発表された「2020年度の大学等における産学連携等実施状況(※)」によると研究資金等受入額は約3,689億円と、前年より約206億円増加しています。その中で示された「民間企業との共同研究費受入額」も「民間企業との共同研究関係」も、上位30位の大半は国立の総合大学が占めています。
これらの研究を支える陰には産学連携コーディネーターの存在があり、「総合知」による社会課題への対応が求められる中、その存在は文系、理系の区分を越えてますます重要になっていくでしょう。一方で人材育成やシステム化は十分とはいえず、個人の能力に頼っている部分は大きな課題であると感じます。
大学が保有する最先端の知見を社会に実用可能なものとしてどう展開していくか。特に多くの私立大学は今、人材への処遇も含め、その姿勢が問われる段階にきているのではないでしょうか。