「半沢直樹」になれない現代人へ。「感情資本」は社会を生き抜くヒント。感情のコントロールとは。

山田 陽子

山田 陽子 (やまだ ようこ) 追手門学院大学 社会学部 社会学科 准教授 博士(学術)専門:感情社会学、仕事の社会学、社会問題論

「半沢直樹」になれない現代人へ。「感情資本」は社会を生き抜くヒント。感情のコントロールとは。
出典:TBS日曜劇場『半沢直樹』公式HP https://www.tbs.co.jp/hanzawa_naoki/

「倍返しだ!」のフレーズと共にエモーショナルな演技でも話題となった大ヒットドラマ『半沢直樹』。しかし大半の人は、顧客や所属組織との関係性を慮って、自らの感情をコントロールすることが多いのではないでしょうか。今回は2019年に『働く人のための感情資本論』を上梓した、社会学が専門の山田陽子先生に「感情資本主義」という切り口から現代社会を生き抜くためのヒントを聞きました。

「感情をコントロール」すること

山田陽子先生の著書『働く人のための感情資本論 -パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学-』(青土社,2019年)
山田陽子先生の著書『働く人のための感情資本論 -パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学-』(青土社,2019年)。読者投票によってその年の人文書ベスト30冊が選ばれる「紀伊國屋じんぶん大賞2020年」29位に入賞。学術雑誌、全国紙や通信社、書評専門紙、人事総務・介護・教育の業界誌、都市問題の専門誌など、多くの書評欄で取り上げられ、学界から一般まで幅広い読者に恵まれています。

「感情資本主義」とは

(編集部)山田先生のご著書『働く人のための感情資本論』で触れられている「感情資本主義」について、教えてください。

(山田先生)本書では、社会学者エヴァ・イルーズ(※)が提唱する「感情資本主義」について取り上げています。社会学は「社会と個人」についての学問ですので、感情それ自体が王道のテーマだったわけでありませんが、イルーズは感情に注目することを通して伝統的な社会学理論の捉え直しを試みています。

(※)ヘブライ大学とフランスの社会科学高等研究所に所属し、モダニティと感情、愛と親密性などをテーマとする著名な研究者。

みなさんもご存知の通り、今の時代、就職活動の選考基準として「コミュニケーション能力」が最も重視されていると言っても過言ではないですね。近年の職場ではコミュニカティブであることが求められ、顧客や取引先とのやり取りのみならず、同僚や上司ともうまくやっていかねばなりません。お互いに気を使い、思いやりや共感をもって相手に向き合うことや、その場の雰囲気に合うふるまいや感情表出をすることによって、上司や同僚と気持ちよく協働できるとか、それによって職務上のパフォーマンスや生産性も上げられるという考え方が一般的になっているようです。経済的な合理性や効率性の維持向上のために、感情は抑圧されるのではなく最大限に利用される、そうした状況があると思います。

家庭でも時短レシピや便利家電の開発に見られるように、いかに効率よく家事育児をこなしていくのかということや家事育児の公正な分担が大きな課題となっています。親の愛情と家事育児を切り離し、単なるタスクとしてアウトソースするベビーシッティング業や家事代行サービスも一般化してきました。

このような「経済生活の感情化」と「感情生活の経済化」が同時に進行していくプロセスが、「感情資本主義」です。一般に、公的領域では合理性や効率性、公正性が中心的な原理である一方、私的領域では愛や親密性が中心になると考えられてきました。これに対してイルーズは、公的領域には通常考えられているよりもエモーショナルな要素が多く含まれ、愛や情緒に溢れていると考えられてきた私的領域はむしろ効率化や計算、正義といった理性的な言葉で捉えられることが多くなっているというのです。そして、現代人の特徴が「エモーショナルかつ合理的」であること、つまり、自然な感情や感動に大きな価値を認める一方で、相手との関係性からどれくらいの心理的報酬や成果を得られるのかという計算に長け、人間関係の数量化や効果測定を無意識にしてしまうような人間類型が出てきているとしています。

「感情労働」と職場で求められる「感情管理」

(編集部)ご指摘のとおり採用や人事評価の場でもコミュニケーション力が重視されています。担当する仕事の領域が欧米と比べて明確に決まっていないことが多い日本の会社では、職場をうまく回していくのにコミュニケーションが特に重要だと感じます。職場での人間関係を円滑にして、自らの感情をコントロールすることが必要になった背景はどこにあるのでしょうか。

(山田先生)1970年以降に消費社会化が進み産業構造が大きく変わっていくなかで、適切に管理された心を顧客に提供する「感情労働」が広まっていきます。アメリカの社会学者A.R.ホックシールドによれば、社会には、どのような種類の感情を、どのような深さや強さで、どのくらいの期間感じるべきかを決める「感情規則」があります。私たちは日頃、それに従って、その場で表出すべき感情をコントロールしています。たとえば、葬儀の時に「嬉しさ」や「楽しさ」を表現したり、「結婚式」の時に「悲しみ」や「落胆」を表せば、周囲の人は眉をひそめるでしょう。うわべを取り繕うだけのこともあれば、自分の深いところまでコントロールして感情自体を変更することもありますが、いずれにしても日常生活を送るうえで、「感情管理」は必須のスキルとみなされています。このように誰しもが行っている「感情管理」が賃労働の場面に組み込まれる時、それは「感情労働」となります。

また、日本では1990年代頃から終身雇用や年功序列型賃金といった雇用慣行が崩れ、非正規雇用が増えたということも関連があるかもれしれませんね。終身雇用の時代は、従業員の家族も含め職場が一つの共同体として機能してきました。就職ではなく「就社」とも言われた時代には、職場にいるのは顔なじみで長年知っている人たちであり、大げさな「感情管理」は必要なかったかもしれません。しかし非正規雇用が増え、雇用の流動性が高まるにつれ、その都度、その場面で「求められる自分」に応じて「感情管理」をすることが増えたとも言えるでしょう。

大ヒットドラマ「半沢直樹」から読み解く、働く現代人の心情

大ヒットドラマ「半沢直樹」から読み解く、働く現代人の心情
出典:TBS日曜劇場『半沢直樹』公式HP https://www.tbs.co.jp/hanzawa_naoki/

言いたいけれど言えない「倍返しだ!」

(編集部)職場での感情と言えば、「倍返しだ!」のフレーズでおなじみの大ヒットドラマ「半沢直樹」ですが、現実には「倍返しだ!」と上司に向かって言える社会人はまずいないのではないかと思います。先生も著書『働く人のための感情資本論』の中で“「やられたらやり返す」と言いたいけれども言えない状況に置かれている人々が大勢存在すること、そのような人々が主人公に自らを重ね合わせて何らかのカタルシスを得ていただろうことは想像に難くない”(P.20 引用)と述べられています。ここから半沢直樹がヒットした背景を先生はどのようにみていますか。

(山田先生)そうですね。職場では、なかなか思っていることや感じていることを率直に言うのは難しいと思います。それは、あからさまな感情の発露は、職場で歓迎されるべき事柄とみなされないからです。ここで少し考えておきたいのは、半沢直樹がどのポジションから発話しているのかということです。たしか、2013年版のドラマでは課長クラス、2020年版では部長クラスではなかったでしょうか。管理職で部下を持ってはいますが、まだまだ上の役職者もいる立場ですね。それであれだけの啖呵を切る。

イルーズの著作でも述べられているように、近年の「リーダー」に求められる条件は、共感力です。職場の対人関係に悩むのは、何も部下の立場にある人に限らないのです。どのような立場であっても職場の人間関係には慎重さが求められる時代に、部下目線、上司目線、どちらの視点から見ても、半沢直樹が時として感情のコントロールを解除して爆発させることは視聴者からすれば「自分ができないことを代わりにやってくれた」という、フィクションとしての役割を十分に果たしたのだと思います。

「感情労働」と「感情管理」に溢れた現代社会

「感情労働」と「感情管理」に溢れた現代社会
(写真:shutterstock)

「感情労働」とは

(編集部)冒頭でもふれてもらいましたが「肉体労働」「頭脳労働」に加え、第3の労働とも言われる「感情労働」についてもくわしく教えてください。

(山田先生)「感情労働」とは、ホックシールドが1980年代に提唱した概念です。拙著でも改めて整理していますが、感情労働に従事する人は、自分の感情を抑圧したり質的に変化させたり、感情をマネジメントしながら、顧客の中に快適な精神状態を創り出すことによって賃金を得ています。感情労働従事者の生産物とは、適切にマネジメントされた「心の状態」です。

ホックシールド自身がフィールドワークを通して明らかにしたのは、航空会社のフライトアテンダントたちの感情労働です。『管理される心』が日本語に翻訳されたのは2000年ですが、それ以降、日本では看護や介護、保育などのケア労働の分析が社会学以外の領域でも盛んになっています。

感情労働には、接客中だけ笑顔で愛想よく振る舞うような「表層演技」と、その人に寄り添うために自分の不快さや怒りをなくし、心の底から本物の感情として共感するような「深層演技」があります。特に看護・保育・介護職は相手の人生に深く関わるため、深いレベルでの感情管理が求められる仕事です。そのため、どこかに歪みが出てストレスが限界を超えた時に、燃え尽きてバーンアウトしてしまうケースもあり、高齢化に伴い対人援助職へのニーズが高まる現代において、一つの大きな社会問題だと言えるでしょう。

加速する「感情労働」化、感情という「資本」

(編集部)クライアントに対する顧客満足度を高めることや社内で円滑な人間関係を築くことなど、いわゆる接客・サービス業以外でも「感情労働」が求められる場面も多くあるのでしょうか。

(山田先生)さきほどお話ししたことともつながりますが、消費社会化が進む中で、普通の事務仕事のはずだったのに、職場では円滑なコミュニケーションをとることが求められるなど、もともと感情労働として想定していなかったところまで感情労働化しているのが現代社会です。その意味では、ほぼ全ての職種において、感情労働の要素が入ってきていると言ってもよいでしょうね。さらに言えば、家事育児などの家庭内の労働にも、感情労働のしんどさがぎゅっと凝縮されています。

「感情管理がうまくできること」が、仕事そのものの能力と同じくらい人事考課や人物評価において重視をされがちです。つまり、イルーズによれば、職場や家庭において感情をマネジメントし、適切な感情を求められる場面で差し出すことができるか否かが、出世や人脈の拡大につながるという意味で、感情は「資本」であると言えます。

ただ、「感情をうまく管理せねばならない」とか「上手にコミュニケーションせねばならない」ということが社会規範になると、それに見合った行動をしない人は社会から脱落することになりかねません。社会規範はそれを守らない人に同調圧力をかけたり排除したりするという機能があるためです。感情管理は世の中をサバイブするために必須のスキルかもしれませんが、社会学としては、こうした規範がもつ排除の機能や、感情を管理することにどのような意味があるのかという点こそ、じっくり考えたいところですね。

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半沢直樹になれない現代人に必要なこと

半沢直樹になれない現代人に必要なこと
(写真:shutterstock)

自分の生きている社会を観察する

(編集部)仕事をする上で、自分の感情を表に出さず、求められる「職務上の適切さ」を体現し続けることは、精神的な負担も大きいと思いますが、そんな今を生きる現代人に向けて何か必要なことや、先生からメッセージがあればお願いします。

(山田先生)今回は職場の「感情管理」を中心にお話しましたが、感情管理は日常生活の中で誰しもやっていることでもあります。例えば失恋をした時、本当はまだ「好きだ」という感情があるのに「好きじゃない」と自分に言い聞かせようとしたり、試験や試合で実はやる気がないのに、周囲の期待に応えるために無理やり奮起したり、そうした経験がある人は多いでしょう。自分が感じている感情と社会的に期待されている感情にズレがある時、人は自分の感情を深いレベルでコントロールしようとします。感情が社会学の研究対象となるのも、感情は個人が感じるものでありますが、社会的な側面をもつものでもあるからです。

感情資本主義や感情労働という概念を知ることで、自分が今、どういった社会構造の中で生きているのかを客観視できるようになると思います。これは社会学全般に言えることですが、日常生活を送る中で何か違和感を抱いたり、しんどいなと思ったりした時に、自分が置かれている状況や生きている社会を一歩引いて観察することで、現状に囚われない柔軟な思考や社会を変えていく行動力につなげていくことができると思います。

社会学の始祖の一人であるE.デュルケームは、「社会をモノとして見よ」と言いました。社会学的なものの見方を学び、社会学の視点から社会について観察して分析する時、現代社会で生じている様々な困難や苦しさがどのように生み出されているのかについて冷静に認識することができます。そのような思考と認識をもち、行動できるようになることこそが、研究や学問がもたらす恵みであるように思います。

まとめ

(編集部)現代に生きる私たちにとって「感情管理」は非常に密接にかかわっていること、また「感情」は資本であることがよく理解できました。自分が置かれている状況や自分が生きている社会を客観的に捉え、違和感の正体を知ることができれば、そこから「自分はどうしたいのか?」を考えることができる。半沢直樹にはなれずとも、上手く自分の「感情」と付き合いながら生き抜いていきたいものですね。

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プロフィール

山田 陽子

山田 陽子 (やまだ ようこ) 追手門学院大学 社会学部 社会学科 准教授 博士(学術)専門:感情社会学、仕事の社会学、社会問題論

2004年神戸大学大学院総合人間科学研究科人間文化科学専攻を修了、博士(学術)の学位を取得。広島国際学院大学准教授を経て2020年度より追手門学院大学准教授。
働く人の自殺やメンタルヘルス、パワーハラスメント、感情労働について質的調査や社会学理論を通して研究。『社会学の基本 デュルケームの論点』(学文社,2021年)、『働く人のための感情資本論―パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学』(青土社,2019年)、Suicides in Worker Accident Insurance:Riskization and Medicalization of Suicide in Japan(Springer,2017)など著書・論文多数。2007年、博士論文をもとにした単著『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像 ー「心」の聖化とマネジメント』(学文社)で日本社会学史学会奨励賞受賞。

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