2024年の大河ドラマは『光る君へ』。古典文学の代表格『源氏物語』を生んだ紫式部の生涯が描かれます。大河ドラマの中では、吉高由里子さん演じる紫式部(ドラマ内での名前は「まひろ」)の生涯のソウルメイトとして藤原道長が登場し、2人の関係をはじめ宮中の濃厚な人間模様が描かれていくとのこと(※)。ロケ開始や出演者の追加発表といったニュースが多数発信され、放送開始も迫る今、ますます注目を集めています。
さて、中学校・高校の教科書でもおなじみの『源氏物語』ですが、多くの人が恋愛物語としてのイメージを抱いているのではないでしょうか。 実は『源氏物語』のストーリー展開には、当時の政治世界に関するさまざまなエッセンスが絡んでおり、それを含めて読み解くことでさらに深く理解することができるのです。
今回は、『源氏物語』の主人公・光源氏の政治家としての面に着目し、研究を進めてきた文学部 村口進介准教授が、『源氏物語』とその主人公・光源氏の知られざる魅力について解説します。
INDEX
知ってる? 覚えてる? 『源氏物語』と作者・紫式部
知っているけど読んだことがない、『源氏物語』ってどんな物語?
(編集部)『源氏物語』と聞くと学校の教科書で習ったぐらいで、全体をきちんと読んだ人は少ないというイメージです。
(村口先生)古文なうえに、かなり長い物語なので、現代語訳で読むとしても、ハードルは高いですよね。
『源氏物語』は平安時代の中期、西暦1,000年ごろ、紫式部によって書かれた全54帖からなる長編物語です。一般的に、全体を3つに分けて“3部構成”と捉えることが多く(第1部:第1~33帖、第2部:第34~41帖、第3部:第42~54帖)、光源氏を主人公とするのは第2部までで、第3部は光源氏が没後の世界で、彼の子と孫を中心に展開します。
ちなみに、「光源氏」が本名でないことは、ご存じですか?「源氏」とあるので、苗字は「源」ですが、名前は作中に出てこないので、わかりません。「光」が名前だと思っている人も多いかもしれませんが、「光」はキラキラと輝くばかりの容姿や才能を象徴する語で、つまり「光源氏」とは、「光り輝く源さん」といった意味の通称です。
(編集部)通称だったんですね!村口先生は『源氏物語』の政治的な側面に着目し、研究を行っているそうですが、一般的には恋愛物語のイメージが強いですよね。
(村口先生)もちろん、そのイメージは否定しません。ですが、『源氏物語』は、天皇を中心とした貴族社会のあり様を丁寧に描きだしていて、特に光源氏が活躍する第1部・第2部は、政治色の強いストーリー展開になっています。物語には、権力闘争やそれに翻弄される人々の人生の選択などもリアルに記されているんですよ。
作家?家庭教師? 紫式部ってどんな人?
(編集部)平安時代を代表する女流作家として有名な紫式部ですが、どのような背景を持つ人物なのでしょうか?
(村口先生)紫式部は中流貴族の出身。幼い頃から物語を読むのが好きで、才女だったことを伝えるエピソードがいくつか伝わっています。 『源氏物語』を書きはじめた時期は定かではありませんが、通説では、夫・藤原宣孝(のぶたか)との死別後に書きはじめ、その評判によって藤原道長の娘で一条天皇の后である彰子(しょうし)に女房として仕えるようになったとされています。『源氏物語』の完成には、藤原道長の援助が大きかったようです。
(編集部)平安時代は男性中心の社会で、政治は主に男性が担っていたと思います。そんな時代にあって、女性である紫式部がリアルな政治世界を描けた理由とは?
(村口先生)まず、平安時代は明確な階級社会であり、自らの才覚で出世することはかなり難しい時代で、特に紫式部が生きた時代は、政治の中心は藤原氏のなかでも北家の人々に限られていました。 北家のなかにも主流と傍流があり、紫式部の父・藤原為時(ためとき)は傍流の出でした。政治家としての為時は、一条天皇の時代には、現代の知事に相当する地方の国守を務める中流貴族。いわゆる受領階級でしたが、和歌や漢詩文にすぐれた文人で、その詩才を讃える逸話が残っており、父の影響で紫式部には漢籍の素養がありました。
(編集部)漢籍とは、中国大陸で書かれた漢文の書物のことですね。
(村口先生)そうです。平安時代の政治は中国をお手本にしていたので、男性貴族にとって漢詩文の読み書きは必須でしたが、女性はそうではありませんでした。しかし紫式部は、彰子に漢詩文を教えたほか、『源氏物語』には、かなりマイナーな漢詩も引用されており、漢詩文に深く精通していたことが知られます。
その豊富な知識に加え、越前守となった父親に同行して、現在の福井県越前市の武生で1年ほど過ごした経験は大いに見聞を広めたことでしょうし、何よりも彰子の女房として男性貴族との取次役を担うなど、政治の現場でいろいろなことを学んだのでしょう。 紫式部は、漢籍の素養に裏打ちされた冷静な観察・判断する力を持ち合わせたからこそ、解像度の高い政治世界と人々の機微を物語に反映できたのだと思います。
『源氏物語』の舞台は平安時代の政治社会そのもの
(編集部)『源氏物語』に見られる政治世界には、どういった特徴が挙げられますか?
(村口先生)道長の時代は摂関政治の最盛期で、外戚(がいせき)といわれる天皇の母方の祖父や親族が天皇を「後見(うしろみ)」しながら政治を行っていました。摂関政治の核心が外戚による「後見」にあることは学校でも習い、よく知られていますが、その「後見」の重要性を、物語のかたちではっきりと示したのは、『源氏物語』が初めてと言えるでしょう。
物語には複雑な人間関係が描かれますが、その複雑さこそ政治的背景によるところが大きく、権力をめぐる人々の心の動きや人間関係のポイントを的確に押さえながら物語は展開します。 政治的な側面を理解することはなかなか難しく、ゆえに、どうしても分かりやすい恋愛にフォーカスされがちで、一般的には『源氏物語』=恋愛物語のイメージを持つ方が多いと思いますが、『源氏物語』を単純な恋愛物語とだけ認識することは、その面白さの半分を失っていると言っても過言ではありません。
平安貴族社会を背景に見る『源氏物語』。それは「権力争い」と「一発逆転劇」
物語の根幹は、輝く負け組の一発逆転劇だった!
(編集部)では、以上の説明をふまえて、政治的な側面に注目しながら物語を見ていきましょう。
(村口先生)すこし入り組んだ話になるかもしれませんが、なるべくかみ砕いて説明したいと思います。 まず、光源氏といえば、華やかで優美、才能あふれる男性としてイメージされることが多いと思いますが、その歩みは不運な境遇からスタートします。 光源氏は天皇の次男として生まれながら、皇位継承権をもつ「親王」にはなれませんでした。というのも、平安時代は現代とは違い、天皇の子であってもさまざまな条件を勘案して「親王」の立場が与えられるのがルールで、その“さまざまな条件”の中でも、もっとも重視されたのが、母親の身分と外戚の存在でした。
(編集部)摂関政治の時代だったからこそ、母方の親族がどれだけ力を持って「後見」できるかが重要だったんですね。
(村口先生)そうです。光源氏の母・桐壺更衣は、天皇の桐壺帝(きりつぼてい)から寵愛を受けていましたが、身分は低かった。「更衣」は天皇の妻のなかでもランクが低く、しかも更衣の父親はすでに他界していて、光源氏の後見……つまり光源氏を政治的にバックアップする人がいませんでした。 対して桐壺帝の長男、光源氏の兄にあたる皇子は、母方の祖父が政界ナンバー2の右大臣で、母親も「女御」と身分が高く、親王となって立太子、のちに即位して朱雀帝となります。 桐壺帝は、寵愛する女性との子どもが苛烈な皇位継承権争いに巻き込まれないため、皇族の籍から離し、「源(みなもと)」の姓を授けて、臣下の道を歩ませることに決めました。それが光源氏です。
つまり光源氏の物語とは、人並外れて優れた文化・芸術の才に恵まれ、“光る君”と呼ばれるほどに人を魅了してやまない、本来は皇位継承権を得てしかるべきだった人物が、天皇になる道を断ち切られ、一般人の政治家として生きていくところからはじまるのです。 そして『源氏物語』には、そんな光源氏を筆頭に、さまざまな事情で政治的に没落してしまった人たちが多く登場し、体制側に一矢報いてゆくような面があります。いわば“負け組の一発逆転劇”ですね。
不遇の出自の主人公が栄華を極めるまでに
(編集部)不運な境遇にある主人公が登り詰めていく、という物語はいつの時代も人々の心を惹きつけるんですね。
(村口先生)現代のマンガや映画でもよく見られる設定、展開ですよね。 逆転劇の一例としては、光源氏と桐壺帝の後妻・藤壺(ふじつぼ)の恋愛が挙げられます。物語の中では桐壺帝と藤壺の間に生まれた息子が冷泉帝という天皇になるのですが、実は冷泉帝の実父は光源氏。つまり冷泉帝は光源氏と藤壺の間に生まれた不義の子ということになります。 冷泉帝の即位によって、図らずも天皇の父となった光源氏は、太上天皇(上皇)に准じる位を得ます。これは天皇になれなかった光源氏にとって、いったんは断たれた皇位と間接的に繋がることを意味し、そのことで、光源氏の栄華は絶頂を極めます。
(編集部)藤壺との恋愛が、政治的な意味合いも強く帯びるということですね。
(村口先生)そうです。この藤壺とのエピソードも、政治的な背景を抜きに恋愛にフォーカスして読めば、あこがれの年上の継母との不倫話で片づけられるところ、彼らの喜びや苦悩を鮮明に読み解くためには、それぞれの置かれた政治的状況への目配りが欠かせません。
女性関係から見る『源氏物語』。源氏は「インクルージョン」の体現者?
実は恋愛至上主義者ではなかった!? 光源氏の恋愛観
(編集部)他の女性たちとの関係、光源氏の恋愛はいかがでしょうか。
(村口先生)光源氏といえば色男、複数の女性と関係を持つプレイボーイといったイメージが一般には強いと思います。幼い頃の紫の上(むらさきのうえ)を見初めたエピソードや、藤壺が母によく似ていると認識しながら慕ったことで、ロリコン、マザコンと言われることもあります。 現代の視点から、そのように言える面のあることは否定しませんが、しかし、そんなワンワードでわかりやすく捉えきれるほど、単純な関係性ではありません。
光源氏の恋愛観を語るうえで見逃せないのが、物語の2巻目、帚木(ははきぎ)巻の冒頭で、光源氏の性格が説明されている部分です。 いわく「浮気っぽく、行き当たりばったりの恋愛は好まないのが本来の性分で、でもたまに、ちょっとややこしい恋愛に心が動かされてしまう「癖」がある」……と説明されていて、光源氏自身も、その「癖」を自覚しています。これらの表現から、実は物語で描かれる光源氏の恋愛は、本人からするとイレギュラーな、非日常の出来事だということになります。
(編集部)光源氏といえば次々と新しい女性に恋をしているイメージがありましたが、恋愛至上主義的な人物というわけでもないんですね。でも、恋愛するとなると一筋縄ではいかない相手に惹かれる傾向がある。それが本人にとって非日常であったという点はおもしろいです。
(村口先生)困難を伴いそうな恋愛に惹かれてしまう気質だからこそ、結果として年が離れていたり、母の面影を持っていたりと、ちょっと変わった相手に惹かれたのかもしれませんね。 光源氏が関係を深めた女性たちを研究の観点から整理すると、大きく言って、①天皇家の血筋を引く女性、②「中の品(なかのしな)」と言われる中流階級の女性、の2つのタイプに分けることができます。
①天皇家の血筋を引く女性には、藤壺(父が天皇)、紫の上や末摘花(すえつむはな)、朝顔の姫君(いずれも祖父が天皇)などが該当します。こうした天皇家ゆかりの女性たちは、身分の低い相手とは結婚できず、高貴な結婚相手に恵まれないと没落しやすい、社会的、経済的には弱い立場にあります。物語には、光源氏がそのような女性たちを後見する場面が描かれます。 「天皇家の血筋を引く」彼女たちもまた広く言えば「源氏」であり、その意味で『源氏物語』は彼女たちも含めた「源氏たちの物語」なのですが、光源氏は源氏一族の領袖として、彼女たちを後見する役割を担っていたとも言えるでしょう。
②にあたる女性としては、空蝉(うつせみ)や夕顔(ゆうがお)たちが該当します。本来は光源氏の妻や恋愛対象となるような身分ではないのですが、光源氏には「心長さ」の美質が備わっており、意外かもしれませんが、基本的に自分から女性関係を断つことのない人物として描かれ、一度関係を結べば最後まで世話をするという面倒見の良さを発揮しています。
光源氏の義。女性達を「包摂」する邸宅の存在
(編集部)光源氏は、一度心を傾けた相手には情が深い人なのですね。
(村口先生)その傾向が具体的な形となって現れるのが、光源氏の邸宅、二条東院(にじょうひんがしのいん)と六条院(ろくじょうのいん)の存在です。晩年、光源氏が自分と関係した女性たちを集めて住まわせるんです。
(編集部)それだけを聞くと「ハーレム!?」と思ってしまいますが……。
(村口先生)性愛的なものも絡んでくるのは事実ですが、それ以上に大きな意味をもつのが、先ほども少し触れた、女性たちの生活の保障です。当時の結婚は通い婚(かよいこん)が一般的なスタイルでしたが、光源氏は政治的立場が上がるにつれて、おいそれと気軽に外出できなくなってしまう。そこで邸宅を建て、それまでに関わりのあった女性たちを集めて、面倒を見ることにしたわけです。 身分に応じた距離や関係性を保ちつつ、生活の支援をし続ける数々のエピソードからは、「包摂(インクルージョン)」する立場としての光源氏像を読みとることができます。
『源氏物語』には、当時の女性ならではの政治的な思惑も
(編集部)政治や制度だけでなく、恋愛の習慣や意味も今とは違う、という点を踏まえて物語を見返すと、新たなおもしろさに気付けますね。
(村口先生)その意味で、興味深いのが、明石の君です。光源氏が政治的な不遇から京を離れ、明石の地(現在の兵庫県明石市)で隠棲していたときに関係を結んだのですが、彼女の祖父は大臣で、父も将来有望だったところ、政争に敗れたため、播磨守として明石へ下向、そのまま明石の地に居ついた経緯があります。 つまり明石の君は受領階級の娘で、先ほどのパターンで言えば、②に該当しますが、彼女の母方は皇族の血を引いており、①の要素も含んでいます。そんな彼女が光源氏唯一の娘(明石の姫君)を儲け、この娘はのちに今上帝の後宮へ入内し、多くの皇子女にも恵まれ、后となって栄華を極めます。 明石の君は受領の娘という境遇に耐えながら、“明石一族の一発逆転劇”を担う存在として、したたかに振る舞う姿が描かれます。
空蝉(うつせみ)という女性もまた、身分制度の中での葛藤が描かれる人物の一人です。空蝉は伊予介(いよのすけ。伊予は現在の愛媛県)という国守の次官の後妻で、いまは②の中流階級にあたりますが、実はもともとの身分は高く、桐壺帝の後宮に入るはずでした。それが、父親の死によって家が勢力を失い、現在は後妻の身分に収まっている。華やかな将来を諦めたところに光源氏と出会ってしまい、「昔のままの身分なら光源氏との関係も喜べたのに」と苦しみを抱き、自ら距離を置くようになるんです。
それぞれの立場の女性たちが抱える忍従や葛藤をリアルに描きわけているのは、政治の動きと宮中をよく知り、自身が受領階級の娘である紫式部ならではと言えるかもしれません。
紫式部が描いた壮大な物語。大河ドラマ『光る君へ』はどう描く?
大河ドラマ『光る君へ』の期待と注目ポイント
(編集部)いよいよ2024年1月から、大河ドラマ『光る君へ』が始まります。村口先生が注目しているポイントを教えてください。
(村口先生)まず単純な興味として、『光る君へ』のなかで、劇中劇として『源氏物語』の世界が演じられるのか否か。
(編集部)たしかに。演じられるとしたら、光源氏役は誰でしょうか。
(村口先生)道長は光源氏のモデルの一人と言われているので、もしかすると、道長役の柄本佑さんが二役を演じる可能性はありますね。とすると、紫式部役の吉高由里子さんは……と、想像は膨らみます。
そして、何より注目しているのが、『源氏物語』自体の扱われ方です。最初にも少し触れたように、『源氏物語』の完成には道長の多大なサポートがあったらしく、道長は彰子の文化的な権威を高める威信財として『源氏物語』を考えていたふしがあります。 NHK広報によると、紫式部と藤原道長の関係を「ソウルメイト」と表現していますが(2023年10月時点)、そのような関係で捉える研究者はまずいないと思います。彰子後宮のレガシーとして『源氏物語』を協働して作り上げた、という意味では「ソウルメイト」かもしれませんが、どのような関係性で2人を描くのか、楽しみにしたいと思います。
(編集部)『源氏物語』は、そのような政治的な意味合いも担っていたのですね。
(村口先生)『源氏物語』の読者には一条天皇をはじめ、当代一流の文化人であった藤原公任(きんとう)も含まれ、当時からかなり話題だったようですが、単なるエンタメではない、『源氏物語』という作品をめぐって、複雑なかけひきが繰り広げられることを期待したいです。 『源氏物語』という書物が摂関政治の全盛期を築いた道長の人生をいかに彩るか、そういった物語自体が持つ政治的な役割や機能が描かれると、『源氏物語』のまた違った一面に光があたって面白くなると思います。 そして、大河ドラマの題材となったことをきっかけに、多くの人が紫式部や『源氏物語』に興味を持ってくれると嬉しいですね。
まとめ
『源氏物語』が実は光源氏の悲運な境遇から物語がスタートするという視点が意外でした。加えて、当時の天皇家や平安貴族など高貴な人々にとって、政治と恋愛、そして家の繁栄というものは、本来切っても切り離せないものだったのですね。
今回は『源氏物語』の表面的な恋愛ストーリーのみならず、時代背景や設定を理解したからこそ分かるおもしろさがあるのだと実感。さらに紫式部が物語に込めた政治の微妙な部分を読み解いたことで、光源氏の新たな魅力、多様な人をインクルージョンしていく人間力に気付かされました。
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