「カッコイイ」エンタメでは終わらないジブリアニメ。『紅の豚』に込めた宮崎駿監督のメッセージ

奥田 浩司

奥田 浩司 (おくだ こうじ) 追手門学院大学 文学部 人文学科 教授専門:アニメーション、日本文学

「カッコイイ」エンタメでは終わらないジブリアニメ。『紅の豚』に込めた宮崎駿監督のメッセージ
出典:Studio Ghibli 公式HP

メディアで連日報じられるウクライナに対するロシアの軍事侵攻という名の「戦争」は、人道問題をはじめ資源や農産物の高騰など、日常の中にも戦争があることを私たちに投げかけています。 21世紀においてなお戦争という人類の危機が起こり続けるなかで、7月14日に公開された宮崎駿監督(以下、宮崎監督)の10年ぶりの長編アニメ映画『君たちはどう生きるか』への注目が高まっています。第二次世界大戦中の時代を舞台にした冒険活劇ファンタジーとのことですが、混迷の時代を生きる私たちへの強いメッセージが込められているのではないでしょうか。

戦争がテーマの宮崎作品の一つに1991年勃発の湾岸戦争の翌年に公開された『紅の豚』があります。商業的には「カッコイイ」エンターテイメント感を演出する一方で、エンタメだからこそ語れる宮崎流の戦争に対する隠されたメッセージがそこにはありました。今回はアニメーション・文学研究者の奥田浩司文学部教授とともに、『紅の豚』に込められた戦争や現代社会へのアンチテーゼを紐解きます。

『紅の豚』が制作された時代と作品の時代背景

『紅の豚』が制作された時代と作品の時代背景
出典:Studio Ghibli 公式HP

『紅の豚』は世界恐慌期のイタリアが舞台

(編集部)子どもを描いた作品が多い印象の宮崎映画ですが、「紅の豚」は主人公がブタの姿をした男性というのが斬新でした。

(奥田先生)元々この映画は国際線の機内用映画として企画されたもので、ビジネスマン向けのエンターテイメント作品でした。糸井重里さんの「カッコイイとは、こういうことさ。」というキャッチコピーからも、当時は中年男性も意識したエンタメ映画だと言われていましたね。 舞台は第一次大戦後、1930年頃の世界恐慌に荒れるイタリア、アドリア海。退役軍人で飛行艇乗りの主人公ポルコが、空賊の賞金稼ぎを生業としながら生きていく姿を描いたストーリーです。

(編集部)経済的にも不安定な時代を描いたんですね。

(奥田先生)劇中でポルコの飛行艇のメカニックを務めるフィオが、燃料の高さに文句を言うシーンがありますが、不安定な時代の市民の姿を描いています。 経済的に疲弊するとファシズム*が起こるというのは、歴史的に繰り返されてきたことですが、ファシズムが台頭し、ムッソリーニが政権を握っていた時代を意識しているのだと思います。

また、『紅の豚』の公開は1992年ですが、前年の1月には湾岸戦争が勃発しています。表向きはエンターテイメントなのですが、一皮剥くと、湾岸戦争を意識した強いメッセージを抱いた作品であることがわかります。宮崎監督自身はそういうことをあまり表立っておっしゃらないのですが、端々での発言を見ていくとおそらくそうであろうと。

僕らのような研究者は、作家や監督の発言の枠内で考える必要はなく、作家や監督が考えもしなかった視点で作品を読み込んでも良いのではないかと思うんです。作品は公開された瞬間から、作家や監督の手を離れ、解釈は読者や観客の手に委ねられます。すぐれた作品に出会ったとき、私たちは作品を何度も読み直したり、見直したりします。そして、その度に新たな意味を作品に見いだします。なぜなら、すぐれた作品ほど、作家や監督の思惑を超えた芸術性や思想性が、作品世界に含まれているからです。

*補注:ファシズム(英: fascism)とは、権力で労働者階級を押さえ、外国に対しては侵略政策をとる独裁制を指す。20世紀初頭にイタリアを中心に広まった政治思想であり、独裁的な指導者のもとで国家や民族の統一を目指すものとされる。日本語では「結束主義」とも呼ばれる。

作品に通底する「非戦」への想い

作品に通底する「非戦」への想い
出典:Studio Ghibli 公式HP

(奥田先生)『紅の豚』は「非戦」をテーマにしています。その一方で、近年の宮崎監督は「非戦という理想は、おそらくほぼ実現が不可能だろう。理想を掲げていられる時代は終わった」という認識を持たれていると感じています。 個人的には、新作の『君たちはどう生きるか』では、戦時下の異界を通して、戦時の心性を描き出そうとしているように思います。複雑で難解な作品ですが、哲学的な深みがあり、素晴らしい作品であることは確かです。

(編集部)「非戦」の思想ですか。

(奥田先生)第二次世界大戦の足音が近づいている時代にも関わらず、ポルコは戦争には参加せず、決して他者を傷つけません。戦闘機乗りという戦争におけるヒーローから引退し、自分は賞金稼ぎだから命は取らないというスタンスを崩さない。一つの正義や大義を立てないことを徹底しているんですよ。正義を立てると敵が出てきて戦争になってしまいますが、宮崎監督は、戦いではなく誰も死なない水上でのお祭り騒ぎという具合に、意図して描き方をずらしています。

(編集部)正義や大義を立てないことが「非戦」につながると。

(奥田先生)村上春樹の小説にも、正義や大義を忌避する感覚が現れています。海外では宮崎駿と村上春樹の共通点を見出そうというものがありますが、この二人は、1960〜70年代の安保闘争を経験してきた人たちです。だからこそ正義や大義を立てることの怖さが身に染みているんだと思います。

その一方で、宮崎駿作品には空を飛ぶことの楽しさというか、飛行艇を中心にテクノロジーへの賛美があるようにも感じています。これは『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』や『イノセンス』の監督である押井守さんの発言から知ったのですが、宮崎監督はメカ好きというか、軍用機にも純粋な関心を抱くような感覚があるようなのです。宮崎監督にもその自覚はあるのでしょう。だから自己否定ではないけれど、戦闘機に乗っても戦わない主人公を描くという矛盾を描いています。

非戦のメッセージ①~主人公・ポルコとライバル・カーチスの戦い~

主人公・ポルコとライバル・カーチスの戦い
出典:Studio Ghibli 公式HP

飛行機(艇)乗りの話なのにラストでは機体を降りる

(編集部)劇中でも飛行艇での戦いが印象的でしたが、戦闘機での戦いの中からも「非戦」を意識しているとは驚きです。

(奥田先生)主人公・ポルコとライバル・カーチスの戦いで、作品終盤の盛り上がるシーンですね。アドリア海の孤島を舞台に、過去の英雄ポルコと新時代のヒーロー・カーチスが、空賊をターゲットにする賞金稼ぎと空賊に雇われた用心棒として対決し、飛行艇での空中戦から、飛行艇を降りて海で素手による殴り合いの決闘までもつれ込みます。

(編集部)飛行技術の解説なんかもあってカッコよかったのを覚えています。

(奥田先生)本来はもっとシリアスなシーンなのでしょうが、最後はシリアスに一貫せず、機体を降りて海で殴り合いの決闘になるんです。これは、あえて子供たちの遊びのようなものへとずらしている。イタリア本土ではファシストたちが権力を握っています。しかしこの孤島は政治の中心からはずれた場所で、空賊やポルコなどのはみ出し者たちの集団が、無邪気にエネルギッシュに遊んでいる。そんな祝祭空間としてシーンが描かれているのです。そこにはリーダーはいないし、一貫性もありません。何か強い目的を持って行動しているわけでもなく、各自が思い思いに楽しんでいるだけです。

(編集部)たしかに、結末は素手での殴り合いでしたね。

(奥田先生)あのままカッコいい空中戦の戦闘シーンを続けて、相手を撃ち落として殺すという展開もありえますよね。むしろそれが戦闘機を描くメインストリームです。しかし宮崎監督は、あえてずらした表現にして意図をずらし、戦争へのアンチテーゼとした。このシーンの描き方は上手いなあと思いました。おそらく宮崎監督は、湾岸戦争で多国籍軍がイラク軍を降参させ熱狂に沸いていた制作当時の世相に思うところがあったのでしょう。

宮崎監督は戦争経験者で、幼少時に空襲を経験しています。戦争の悲惨さを目の当たりにした世代だからこそ、戦争をカッコいいものとして賛美してはいけないという想いがあるのだと思います。

(編集部)ポルコがカーチスを空中戦で倒してカッコいいヒーローになってしまうのは、宮崎監督としては描けない、描きたくない展開なのですね。

(奥田先生)このシーンで描かれているのは、争いの中にある連帯です。少し難しい話になりますが、権力というのはヒーローを作り上げることで大衆の熱狂的な支持を得て広がるという構造を取ります。だからこそ宮崎監督はポルコを「権力」の中心に位置づけようとはしません。敵味方に分かれて命を奪い合う戦争ではなく、多様性のある集団が一体感を感じながらお祭を楽しんでいる、そういう表現で非戦を演出したのでしょう。

(編集部)そう考えると、この作品がファシズムが台頭する時代を背景にしていることにも、深い意味が込められているような気がしてきました。

(奥田先生)ファシズムへの恐怖というか、自分たちの世界しか見えなくなり殺戮を厭わなくなっていく傾向が人間にはある。そこへのメッセージもあるのでしょう。 作中でポルコとカーチスは、しょうもない男のプライドをかけて殴り合って、最後にはちょっと締まらない感じで立ち去っていきます。宮崎監督は「こういう感じで良いんじゃないか、これが平和なんじゃない?」というメッセージを込めているのかもしれません。

非戦のメッセージ②宮崎監督が示したユートピア

戦争未亡人が歌う「さくらんぼの実る頃」
出典:Studio Ghibli 公式HP

戦争未亡人が歌う「さくらんぼの実る頃」

(編集部)ほかに、非戦のメッセージが込められているシーンはありますか?

(奥田先生)マダム・ジーナが歌うシーンです。ここにも深い意味が込められていると考察しています。主人公の幼馴染みであるマダム・ジーナは、三度飛行艇乗りと結婚し、全員と死別している未亡人です。そして彼女が歌う「さくらんぼの実る頃」はフランスの有名なシャンソンですが、パリ・コミューンと縁深い歌でもあります。 パリ・コミューンは1871年に労働者階級が革命により立ち上げた自治政府ですが、激しい市街戦の結果、約2か月であっけなく崩壊してしまいました。「さくらんぼの実る頃」の歌詞は、もともとは恋の楽しさと儚さを歌ったものだったのですが、パリ・コミューンを経て歌詞が追加され、「一瞬だけど権力の理想的な状況が成立した。だがそれは終わってしまった」というような、追悼の意味が込められるようになりました。 この鎮魂歌を、戦争によって伴侶を奪われた未亡人が敵も味方も分け隔てなく歌い聞かせているこのシーンは、まさに非戦にふさわしいと思います。

宮崎監督がめざしたユートピア

(奥田先生)宮崎監督はパリ・コミューンについて『権力は腐敗する』と理解した上で、『理想主義がきわめてはっきり行われた最後の革命』だと語っています。宮崎監督は安保闘争を経験した世代なのですが、左翼的な原理主義に対する批判意識を持つ一方で、「理想を持って社会を変えていこうという考え自体は良かったよね」といった想いがあるのでしょう。安保闘争は、当初は若者による理想に燃えた反政府運動であり、パリ・コミューンに通じるものがあったのかも知れません。

ただ宮崎監督は、理想だけを振りかざしてはいけないと考えている。先ほどの飛行艇での戦闘を祝祭にずらしていくのと同じことで、パリ・コミューンの若者たちの理想を追求する姿勢を、ポルコとジーナの出会いや交流といったようなところにずらして表現しています。ユートピアへの理想は持ち続けていても、大人はもうちょっと複雑というか、歌を聴きながらお酒を楽しみラブアフェアを楽しむようなことが、結局平和なんじゃないという緩い表現に変えているのですね。

(編集部)ここもあえて表現をずらすことで、非戦の思いや平和のあり方を『紅の豚』では徹底して描いているのですね。

非戦のメッセージ③アメリカ映画『カサブランカ』との違い

アメリカ映画『カサブランカ』との違い
出典:Studio Ghibli 公式HP

非戦であるがゆえの大義名分の無効化

(編集部)主人公ポルコ・ロッソといえば、画像のようなトレンチコート姿をはじめダンディな装いや行動も特徴的でしたね。

(奥田先生)実は『紅の豚』は、アメリカ映画の名作『カサブランカ』(マイケル・カーチス監督、1942年公開)を下敷きとしています。ポルコのダンディズムは『カサブランカ』主演のハンフリー・ボガードのファッションや行動と重なりますし、さらにポルコの宿敵であるカーチスは『カサブランカ』の監督の名前でもあります。

『カサブランカ』は恋愛映画の名作として知られていますが、ストーリーを見ると別の視点が見えてきます。映画の舞台はドイツの支配下にあったフランス領モロッコの都市カサブランカ。主人公リックは世界恐慌を経て台頭するファシズムに抗い、かつて深く愛しあった女性を亡命させようとドイツ軍の将校を倒します。 『紅の豚』のポルコもまた、イタリアを支配していたファシズム政権に批判的で、秘密警察や空軍に追われるハードボイルドなシーンも描かれています。

(編集部)両作品の主人公には共通点があったのですね。

(奥田先生)ええ。『カサブランカ』は第二次世界大戦にアメリカが参戦した翌年に公開された作品で、四方田犬彦が指摘しているように、「アメリカのヨーロッパ参戦を正当化する」という目的で、戦争プロパカンダとしての役割が刻み込まれていたと考えることができます。 一方で『紅の豚』は、『カサブランカ』と同様にファシズムに批判的な立場をとりながらも戦争をあおるのではなく、敵も味方もない共同体感を演出して大義名分のない世界を描いています。宮崎監督はこのように名作と対比させることで、非戦を強調したのではないかと思います。

(編集部)まさかそんな意図があったとは…!驚きです。

(奥田先生)ここは深読みかも知れませんが、エンタメ世界に対する警鐘の気持ちもあったのかも知れません。アメリカにおける『カサブランカ』に限らず、第二次世界大戦時は日本でも大衆を煽る戦争プロパガンダ映画やアニメが作られていました。宮崎監督はそんな時代を知っているからこそ、時勢に巻き込まれて好戦的な映像を垂れ流した時代への批判があっただろうし、自分や同業者を含め、時勢に利用されやすいエンタメ世界の作り手へ警鐘を鳴らしたかったのではと考えます。

(編集部)ヒーローが敵を倒すわかりやすいドラマの方が大衆受けはいいけれど、戦争を見てきた宮崎監督は、作り手として警鐘を鳴らしたかったんですね。

非戦のメッセージ④戦争と子供

戦争と子供
出典:Studio Ghibli 公式HP

子供の視点で描く希望

(編集部)最後に、宮崎アニメらしい「子供」という視点で「紅の豚」を見ていきたいと思います。

(奥田先生)空賊が子供をさらおうとするものの、ポルコが邪魔をして失敗するシーンがあります。空賊もポルコも子供たちに翻弄されてとても牧歌的な空気が漂っています。 子供たちを誘拐された大人たちは、「撃て、撃ちまくれ」「皆殺し」など、血なまぐさい戦いの言葉を発す一方で、子供たちは「きれいね」「あ、見て、赤い飛行機」「心配しないで、私たちスイミングクラブの子だから」というふうに、日常的な遊びの感覚のまま言葉を発しています。

戦争を始めるのは大人です。ウクライナでもロシアによる子供の連れ去りが問題になっていますが、湾岸戦争でもアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾により現地の子供が被爆し健康被害を受けました。監督はこのシーンを描くことで、大人が始めた戦争で一番悲惨なのは子供だ、こうした子供の無邪気な目線で世界を見ていれば戦争は起こらないということを伝えたかったのかもしれません。

(編集部)なるほどここも構造をひっくり返しているんですね。実際の戦争では子供が悲惨な目に遭わされるけれど、『紅の豚』では子供たちが大人を翻弄する逆転の構図が描かれていると。

(奥田先生)やはりそこに何か希望のようなものを託しているのではないでしょうか。子供の世界をもう少し有効に私たちの社会に組み込めば、戦争は起こらないんじゃないかというような。そう考えると『崖の上のポニョ』なんかは、とてもわかりやすいですね。あの作品は子供の目線で描ききった映画だと思うのですが、ああいう無邪気さが世界に平和をもたらすという感覚を、監督はお持ちなんじゃないでしょうか。

(編集部)奥田先生は宮崎監督のこうしたメッセージを、私たちがどう受けとめ、考えていくべきだと思いますか?

(奥田先生)難しいですね。宮崎監督としては、まずは作品を楽しんでほしいと考えていると思います。その上で監督の考えを補填していくとすれば「考え方は一つじゃない」というところではないでしょうか。『紅の豚』は監督の非戦の思想が込められた映画ですが、非戦という考え方に縛られてしまうと、今度はそれが正義となってしまいます。そうではなく、寛容にさまざまな考え方を認め合いながら楽しく祝祭的に生きていこう。…そういったことを伝えたかったのではないかと思います。

ポルコもあんなにダンディだけど豚の姿をしています。そういうカッコ良さとカッコ悪さが混じり合ってる世界を宮崎監督があえて描いたのは、世の中には多様な価値観があり、正義は一つじゃない。絶えずそう思っておくことが大事だと、僕らに伝えたいからかもしれません。

(編集部)なるほど。他の作品もそういった視点で見たくなりました。

まとめ

ジブリアニメとりわけ宮崎アニメのメッセージ性の強さは周知のとおりですが、『紅の豚』には「非戦」というメッセージが通底しているという考察を、歴史・文学・哲学的に読み解く奥田先生の試みはとても新鮮でした。エンターテイメント作品として商業的に成功しながらも、多くの人に強いメッセージを届け、考えさせる宮崎駿監督の映画は、アニメーションを超えた普遍性のある作品といえるでしょう。

非戦というメッセージをどのようにとらえるかは、私たち一人ひとりに委ねられています。しかしロシアによる軍事侵攻が決して他人事ではない今、私たちは、何を考えどう生きるかということについて、『紅の豚』そして最新作を通じ、向き合ってみるのも良いかもしれません。そこにはきっと、複雑な世界情勢にさらされている私たちへのヒントがあるはずです。

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プロフィール

奥田 浩司

奥田 浩司 (おくだ こうじ) 追手門学院大学 文学部 人文学科 教授専門:アニメーション、日本文学

宮崎駿や村上春樹の作品を中心に研究を進めている。宮崎作品には戦争への拘りを強く感じさせるものが多い。村上春樹は、戦後世代ではあるものの、戦争の歴史を作品世界に挿入している。現代日本を代表するアニメーターと小説家が、なぜ戦争に着目し描こうとするのか。宮崎駿や村上春樹の作品が抱えこんでいる現代日本の問題を、明るみに出すことができればと考えている。

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