日本の「お家芸」と言われ、今や世界200か国を超える国々で親しまれているオリンピック種目である柔道。柔道が世界的に広がるきっかけの一つとなったのが1964年の東京オリンピックでの正式種目採用でした。以来、日本古来の武術であった柔道は、世界的スポーツ「JUDO」として普及し、ルール変更を重ねながら変化し続けています。
今回、2度目の東京でのオリンピックを前に、改めて日本のお家芸である「柔道」、そして「JUDO」について、その成り立ちから変遷まで、社会学的見地から考えます。勝敗やメダルへの期待だけではなく、柔道本来の理念やあり方について、私達はどこまで知っているのでしょうか。
武道学、体育科教育学、スポーツ社会学が専門で元高校保健体育教諭であり、柔道京都府代表監督として国体優勝経験もある有山篤利社会学部教授に話を聞きました。
日本のお家芸「柔道」の成り立ちと変遷
日本古来の柔術をもとにした柔道。その成り立ちとは?
(編集部)「柔道」はどのようにしてうまれ、そして現在私達が知っているかたちへと発展していったのでしょうか?
(有山先生)江戸時代から明治時代へ、サムライの時代から新しい世の中へと移り変わる中で、日本人の生活に積極的に欧米の文化が取り入れられるようになったという時代背景がありました。伝統的な「武術」を近代化にふさわしい文化として日本に残したいという意志を持った嘉納治五郎師範により、「柔道」は1882年に創始されました。武士のいない新しい世の中には、本来武術は必要ありません。そういった日本古来の武術がなくなってしまうことに危惧を覚えていた嘉納師範は、武術の一つである「柔術」に近代スポーツの制度やルールを取り入れ、国民教育に組み込むことで後世にまで残そうとしたのです。近代教育や学校制度が整備をされていく過程において、柔道の理念は教育にも通じるものとして「体育」に結びつけたことで徐々に普及していきました。
嘉納師範はまた、日本発祥の「スポーツに並ぶ文化である柔道」として、海外への普及活動も積極的に行っていました。今ではオリンピックの競技の一種目として定着している柔道ですが、当時嘉納師範が目指していたのは、いわゆる西洋の「スポーツ」に対抗し得る日本独自の「身体運動文化」として海外への認知を高めること。その点では、今の柔道は嘉納師範の意図とは異なった形、目指した形とは逆に「スポーツに吸収されてしまった」といえるでしょう。
柔道を創設した嘉納治五郎師範が目指したもの
(編集部)嘉納師範が目指した本来の柔道の理念とはどのようなものなのでしょうか?
(有山先生)嘉納師範の柔道に対する理念を的確に表したのが「精⼒善⽤・自他共栄」という今でいうキャッチコピーです。柔術の「柔よく剛を制す」の原理から「自分の力を効率よく働かせるため、力同士のぶつかり合いを避け相手の動きを利用する」ことを技の原理として取り入れた「精⼒善⽤」と、さらにこの原理を身体化して日常⽣活で実践することによって、争いのない融和的な社会の形成に貢献しようとする「⾃他共栄」。嘉納師範はこれが柔道を習得する目的だと教えていたのです。
国民の期待を一身に背負い、勝利至上主義の道へ
高度経済成長の旗印となった東京オリンピック。柔道は国威発揚のアイテムに?
(編集部)1964年の東京オリンピックにおいて初めて柔道が正式種目となったことは、その後の柔道にどのような影響をもたらしたのでしょうか?
(有山先生)柔道が初めてオリンピックの正式種目になったのは、1964年の東京オリンピックですね。第二次世界大戦に軍事力で完敗した日本はその後高度経済成長に入り、今度は経済力で世界と戦っていました。その旗印が東京オリンピックとも言えるわけです。敗戦のショックから立ち直って、もう一度世界の檜舞台に立ちたい、日本全体がそういった同じ夢を追いかけていた時代です。「世界に誇る日本=武道をオリンピックに」という社会の雰囲気に後押しされる形で、国民の心をひとつにする、いわば「国威発揚のアイテム」として、柔道が用いられたともいえるでしょう。
嘉納師範が志したスポーツと一線を画した日本文化としての柔道は、勝敗ではなく日常生活にまで通じる「技の原理」を習得することこそが目的であるという点が置き去りにされ、枠組みとして取り入れた競技スポーツの部分だけが一人歩きをしていきました。
これは現代においても続いています。オリンピックなど国際試合において、柔道選手が「銀メダルをとって悔しくて涙する」「金メダルをとれなくて謝罪する」などの姿がしばしばみられます。これは柔道が「日本のお家芸」として、世界に勝つことを強く期待されているから。特に1964年の東京オリンピック当時は、世界に通用する柔道はザ・日本であり、国民的ヒーロー力道山に並び立つ存在でした。そんな時代だったからこそ、嘉納師範が提唱する柔道の理念よりも「勝つこと」が圧倒的に重要視されたことは容易に想像できます。事実、前回の東京オリンピックにおいては柔道競技で3個の金メダル、1個の銀メダルを獲得し、当時の多くの日本人を勇気づけ、日本という国を活気づけたことは間違いありません。
その普及に伴い、本来の理念とかけはなれていく柔道
(編集部)嘉納師範が目指したのは「生き方」としての柔道ということですが、今、私たちが目にしているスポーツとしての柔道とは隔たりがありますよね。その原因はどこにあるのでしょうか?
(有山先生)ふたつのことが考えられると思います。1つ目は、「道」をスポーツ倫理で解釈してしまったこと。柔道は「礼に始まり、礼に終わる」。礼儀作法こそが大切な「道」であると言われますが、相手を尊重する作法は柔道に限ったことではなく、スポーツ全般に言えることです。相手を尊重し、試合前に握手をし、フェアプレーを重んじる。これはどんなスポーツにも言えることであり、先程お話したように、このような道徳的な礼法そのものは嘉納師範が意図した「道」と直接の関係はありません。嘉納師範の著作に「礼に始まり、礼に終わる」はでてきませんよ。
もう一つには、歴史的な背景が関連しています。戦後、柔道や剣道などいわゆる「学校武道」全般がGHQにより禁止されました。それをもう一度復活させる際に、「柔道は武術ではなく、スポーツである」という建前を持って復活させたという経緯があります。文科省(当時は文部省)は「柔道は教育的なスポーツであって、すでに武術ではない」とはっきりと宣言をしているんです。以後、その見解を一度も訂正していません。その「柔道はスポーツである」という政府の公式見解を持って「武術」との関連性を否定した。その時点で日本の伝統である武術との関連性が断ち切られたと言えるのではないでしょうか。
技を極める「柔道」から競技スポーツ「JUDO」へ
生き残りをかけ、スポーツとして定着した「JUDO」
(編集部)歴史的背景もあって現代に見られるようなスポーツとしての柔道が定着したということですね。
(有山先生)そうですね。スポーツとして普及してしまったからには、「勝つこと」が期待されますし、階級が整備されたり制限時間が設けられたりしたことも「スポーツ」として取り込まれた結果です。オリンピック競技として生き残るために、レスリングとの差別化が図られ、さらには観戦しやすいように柔道着の色分けもなされました。「競技を見る人」がいなければ、柔道着の色分けは必要ありませんから、「技を習得し極める」ことではなく「勝敗を競う」スポーツとしてオリンピックで生き残ることを選択した結果だと思います。現代、ほとんどの人が「日本古来の柔道」だと思いこんで競技し、観戦しているのは「JUDO」なんです。
「JUDO」で試合に勝ち、「柔道」で己に負ける
(編集部)確かに本来の柔道とJUDOは違いますね。
(有山先生)JUDOはスポーツですから、相手を倒すことが目的です。対して柔道は、技の原理である「柔よく剛を制す」を極めることが大切であり、勝ち負けではありません。そもそも「勝敗を競うこと」は上達を確かめる手段にすぎません。相手ありきではなく極めて内向的な「私との戦い」であるわけです。極端に言えば、JUDOは「剛」でも勝てば良いわけですが、柔道は「剛」で勝つことに意味はありません。
そしてもうひとつ大切なことは、技の原理である「柔よく剛を制す」を日常生活の生き方にまでつなげるという考え方です。技には全て極意や奥義と呼ばれる原理があり、それは社会に通底する真理に通じると日本人は考えます。なので、技を極める芸はなんでも「道」になるのです。その技の原理を身につけたら「生き方」が変わる。これがスポーツと「道」の身体運動文化の大きな違いであると考えます。例えば、サッカーを練習する時、「ドリブルを極めたら人格が向上する」なんて指導はされないですよね。嘉納師範は「背負投がうまくなったら人格が向上する」と教えているんです。それは、背負投には望ましい生き方に通じるような「技の原理」があり、それを身体化することこそが、柔道の目的だからです。
また、技を磨く、そして自分と向き合うという意味では、柔道は非常に地味なものです。現在私たちが見ている「JUDO」は勝敗とともにダイナミックな背負投や大外刈など、「魅せる技」を楽しみます。このような意味でも、柔道とJUDOが異なると言ってもよいと思います。
柔道とJUDO、その未来は?
柔道とJUDOを理解し、柔軟に取り入れること
(編集部)競技柔道においては、競技人口の減少に歯止めがかからないなどといった課題も聞かれます。柔道、そしてJUDOの未来についてはどのように考えていますか?
(有山先生)世界中に普及した「JUDO」は大きくなりすぎ、本来の「柔道」が入る余地がなくなってしまいました。ですが、競技としての「JUDO」と、道としての「柔道」を区別して位置づける意義はあると考えています。
嘉納師範の目指した「柔道」の理念を理解すると、競技としての「JUDO」をより楽しむことができると思います。競技としての「グローバルさ」と、技の追求という「ローカルさ」が一つの種目で経験できる。これはグローバル化時代に大きな強みになると思います。競技人口が年々減っていることが問題視されていますが、「JUDO」と「柔道」をあわせて考えることで、可能性がたくさん出てくるのではないでしょうか。例えば、小さい頃は教育的なしつけとして「柔道」を学び、中学・高校・大学では競技としての「JUDO」に邁進し勝敗を競い、年をとってそれが難しくなったら技を極める「柔道」の世界に戻る、そのように柔道とJUDOを柔軟に取り入れることも可能だと思います。
本来の柔道を守る「仕組み」の見直しを
(編集部)世界に普及したJUDOの果たすべき役割、また柔道とJUDOの未来に向けて必要なこととは何でしょうか?
(有山先生)必要なのはこれだけ世界に普及した「JUDO」を入り口にしながら、伝統的な「柔道」の世界にシフトチェンジしていく仕組みです。改善すべき仕組みのひとつとしては、昇段試験が考えられるでしょう。例えば剣道においては、勝敗ではなく「技の品位」によって昇段が決まります。つまり、「強い」と「上手い」には決定的な違いがある、ということを競技者は自覚しているのです。昇段するためには、勝つことよりも技を極めることが重要です。言い換えれば、勝てなくても技を極めることができれば昇段できる。つまり、昇段審査の仕組みのなかに、「本来の剣道を守るもの」がしっかりと組み込まれています。だから70代、80代でも剣道を続けている人が多いのです。「柔道」と「JUDO」双方において、そういった制度面からの見直しが必要だと考えています。
時代に合わせ変容していくことが柔道の極意
(編集部)柔道はその成り立ちから普及まで、時代や社会的な背景に大きく影響を受けてきました。現代の社会的背景や価値観は、柔道とどのような関連性があるとみていますか?
(有山先生)スポーツと時代背景・社会的価値観は切っても切り離せない関連性があります。戦後から高度経済成長、バブルまでは「成果主義」で勝ち負けを競うことが重要視され、それが落ち着いた現代社会は「自分らしさ」や「自分の生き方」が大切という考え方に、スポーツにおいてもシフトチェンジしつつあるのではないでしょうか。今流行りのスポーツといえば、ボルダリング、サーフィン、スケボーなど、勝ち負けを競うというよりは「自分のスタイル」を貫き自分と向き合って己の技を磨くもの。対して野球や「JUDO」など勝敗を重視する従来のスポーツは競技人口が減少傾向にあります。これは現代の社会的価値観に合わせた「成果主義からの脱却」とも言えるのではないでしょうか。だからこそ、勝敗にこだわる「JUDO」ではなく技を極める本来の「柔道」の方が、今の時代に親和性が高いともいえるでしょう。
柔道はその時々の時代背景に合わせて柔軟に変化し、だからこそ世界中に普及しました。これもまた相手の出方に合わせて、それを利用する「柔よく剛を制す」柔道の戦術であるともいえるでしょう。見方を変えると、ころころと変容し、「柔道」が「JUDO」になってしまったこと自体が柔道の原理と通ずるものがあるという捉え方もできます。大きく社会的価値観が変容している今、また「JUDO」から「柔道」へと戻っていく可能性もあるのではないでしょうか。あくまで、私の希望的観測ですが。
「JUDO」に「柔道」の視点をプラスすると、もっとおもしろくなる
(編集部)「柔道」から「JUDO」への変遷も、柔道の原理と通じるというのは、とても興味深い考え方ですね。
(有山先生)少子高齢化の進む日本では生涯スポーツの議論も盛んです。嘉納師範が志した「柔道」であれば、己の技を磨くものですから、生涯スポーツとしても成り立ちます。時代背景、時代のニーズに敏感に反応して、スタイルをすっと変容させていくことは「柔よく剛を制す」と通ずる点があります。そういった見方や考え方も必要ではないでしょうか。
(編集部)まもなく東京オリンピックが開催され、柔道への注目も高まってくると思いますが、今日のお話を踏まえ観戦するとまた違った柔道の面白さが見えてきますね。
(有山先生)オリンピックでは、柔道の理念を知った上で選手の「技」を見てほしいですね。力で勝負しているのか、「ワザ」で勝負しているのか。投げられても、すかしたりそらしたりしながら相手の動きを利用する「技の原理」を実践していたら、「柔道」としてはそちらが優れている、ということもありますよね。そのような観点でオリンピック種目である「JUDO」を観戦していただけたら、勝ち負けやメダルの数だけでは分からない、「JUDO」と「柔道」両方において新しい発見があると思います。
まとめ
柔道の経験がない多くの日本人は、オリンピックや国際試合の開催のたびに柔道に注目し期待を寄せます。それは柔道が「日本のお家芸」として共通の認識があり、実際メダルも最も多く獲得している種目だからですが、その裏にはスポーツ化した「JUDO」と本来の武道としての「柔道」の葛藤があることを知りました。その葛藤は、柔道発祥の国だからこそ抱える課題であり、その克服の過程にこそ、「柔道」そして「JUDO」の両方の未来があるのではないでしょうか。そして何より私たちが、4年に1度のメダルを期待するだけではなく、日本人の考え方や日常生活とも深く結びついている「柔道」の理念について知見を広げることで、たくさんのことが見えてくるということに気付かされました。