「世界遺産」と聞くと、何をイメージするでしょうか?一般には、イタリアの古代ローマ遺跡、中国の万里の長城、日本の金閣寺など、世界の国々を代表する超有名観光地が思い浮かぶのではないでしょうか?世界遺産は人類共通の世界的な遺産と言われながら、我々にとって身近な存在であり、また重要な観光地でもあるのです。
折しも国内では今年の5月に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島(奄美・沖縄)」が世界自然遺産に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産にそれぞれ登録される見通しになったことが報道され、世界遺産への関心も高まっています。
今回は、世界遺産をテーマに、特に文化遺産が持つ重層的な特徴と多面的な役割について、地域創造学部の井上典子教授と吉田佳世講師との対談を通じて考えていきたいと思います。では、世界遺産の「知られざる魅力を探る旅」をナビゲートします。
INDEX
世界遺産と定義
未来に託すべき遺産
(編集部)文化庁の公式ホームページなどによると、1972年の第17回ユネスコ総会において、「文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として保護するため、国際的な協力・援助の体制を確立すること」を目的として、世界遺産条約(正式名称:世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage))が採択されました。その中で世界遺産は、社会の経済的な変化に伴い遺産の破壊が深刻化する中、人類全体のための世界の遺産として保存する必要があるものとしての要件を満たす対象を「国内的保護を補完する形で世界遺産の制度を条約として採択」(引用:西村2004)し、保護するとしました。
2019年7月時点で1,121件の世界遺産が記載されており、このなかに日本の世界遺産も23件登録されているようです。メディアなどでは「人類共通の遺産」と表現されるのを見かけますが。
(吉田先生)世界遺産検定のテキストなどでも「人類共通の」という表現を見たことがあります。「人類共通」という言葉は、今現代に生きている人々の「国や所属を超える」ものという意味もあると思いますが、私が思うに、「世代を超える」というニュアンスも含まれているのではないでしょうか。次の世代の人々に向けてもこの遺産を残していく、ということです。だからこそ世界遺産は、私たちの世代だけでなく次の世代にも、何らかの意味を持つものだろうと私は考えています。
文化遺産とは何か
(編集部)世界遺産条約は、世界遺産を文化遺産(Cultural Heritage)、自然遺産(Natural Heritage)の二つにわけています。このうち文化遺産は、記念物(Monuments)、建造物群(Groups of buildings)、遺跡(Sites)で、これに「自然と人間との共同作品combined works of nature and man」としての文化的景観(Cultural landscape)が加わりました。イタリアのワイン畑や日本では紀伊山の参詣道などがこのカテゴリーで登録されています。近年では、産業遺産(Industrial heritage)やモダニズム建築(Modern architecture)も注目されるようになっています。また、これらとは別に、無形文化遺産保護条約を通じて無形遺産(Intangible heritage)も保護対象になりました。
増加し続ける世界遺産
(編集部)1978年の第2回世界遺産委員会において世界で初めて、エクアドルのガラパゴス諸島や西ドイツのアーヘン大聖堂など、自然遺産4件、文化遺産8件の計12件が、世界遺産に登録されました。翌年には45件が登録され、以降も世界遺産の数は増加し続けています。なかでも中国とイタリアの登録数が55件と、世界で最も多いようです。
(編集部)文化庁の資料によれば、世界遺産の登録には、政府や国際機関によるいくつもの手続きや調査が必要です。まず、政府により世界遺産登録を目指す世界遺産暫定リストを作成し、ユネスコ世界遺産センターに提出します。各国政府からの推薦書を受理したユネスコは、物件の現地調査を専門機関へ依頼。諮問機関は現地調査に基づき評価結果をユネスコに報告します。そして世界遺産委員会にて審査を経て、通過すれば晴れて世界遺産として登録されます。
5月にニュースになった「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島(奄美・沖縄)」と「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録に向けた動きは、こうした一連の手続きの中で諮問機関が「登録することがふさわしい」とする勧告をまとめたことを受けたものです。
単層的な価値から重層的な価値へと拡張する世界遺産
世界文化遺産は変わらない「モノ」なのか
(編集部)増え続ける世界遺産をどのように見ていますか?
(井上先生)私は以前、イタリアのヴェネツィアに暮らしていたことがあります。船と水路を軸とする独特の暮らしは貴重な体験で、水道水が飲めないので1リットルサイズの水を購入して12本運ぶのですが、それが階段状の橋だらけで大変なんです。夏には、教会や広場が解放されて、コンサートや映画を楽しめました。なつかしいですね。私が間借りしていた家の2階下に、年老いた「先生」が一人で暮らしておられました。確か、息子さんは舞台俳優だったと思います。この先生は、カナル・グランデが見える素晴らしい居間で、いつも正装して一人で食事をされていました。食事はお手伝いさんが作るのですが、私はそのお手伝いさんと台所で話をしながら銀食器の掃除の仕方などを聞きました。昔のことですが、現在はこうした生粋のヴェネツィアの生活者を見かけることは少なくなったと友人は言います。というのは、世界中から観光客が押し寄せる一方、もともとの住民は暮らしやすい近郊の都市に生活拠点を移すことが増えたと考えられるためです。1987年に世界遺産となることで、「ヴェネツィア」という街の価値はたかまったのだろうと思いますが、同時に、マスツーリズムにより様々な問題も引き起こされました。
私は京都の出身ですが、日本の京都においても同様の現象が起きていると言えるのではないでしょうか。「京都の人々の普通の暮らし」というのは、なかなか感じることができません。暮らしは変化していくのが当たり前だと思いますが、その変化が、作られた京都のイメージや観光客のための物語を通じて引き起こされるというのはどうなのでしょう。建物が京都のイメージを表すものとして観賞され、イメージは消費されていく。京都ではもちろん、イタリアのように市街地が世界遺産になっているわけではありませんが、多くの世界文化遺産の中で営まれる暮らしも、実際には変化し続けているのです。
(編集部)登録される世界文化遺産も以前とはずいぶんと変わってきたように思います。
(井上先生)冒頭に挙がった日本の姫路城など、初期からの世界遺産に見られるいわゆる「建造物」としての「モノ」はもちろん素晴らしい価値を持つのだと思います。そして今はこのような「単層的」なものばかりではなく、文化的景観(Cultural landscape)の導入以来、「重層的」ともいえる世界文化遺産が増えているのではないでしょうか。その背景には、無形文化遺産や文化的多様性に対する視野の広がりが見て取れます。
再評価される「文化的景観」
(編集部)先生の研究領域の一つにイタリアがありますが、「重層的」な価値が認められた事例はどういったものでしょうか。
(井上先生)イタリア中部に位置する「アッシジ」は、フランチェスコ会を創設した聖フランチェスコの出身地として知られ、キリスト教の巡礼地として多くの人々が訪れる世界遺産の町です。当時の有名画家たちによるフレスコ画で装飾されたサンフランチェスコ聖堂があり、それだけでも世界遺産としての価値があると評価されるでしょう。私がイタリア時代に師事したパラオ・ファリーニ教授は、町の周辺に広がるオリーブ畑や農地にも着目して資料を遡り、そこで営まれてきた農業や土地利用も含めた文化的景観(Cultural landscape)を世界文化遺産として評価しました。世界中から観光客が訪れるアッシジという現代の市街地と工場地を含めた周辺のオリーブ畑、すなわち今日的な都市と農村の関係一体的な景観として捉えた点にこのプロジェクトの新規性があり、オリーブ畑を維持しているのが地域の人々であることを考えると、いわゆる歴史的な「モノ」に優位性を置く文化遺産議論の中で、文化的景観のアプローチはもっと再評価されてよいものだと思います。
ただ、文化的景観は限定的な「モノ」だけを対象にしていないだけに、今はもう見えない何かや、地域で語られてきた伝承などを含めながら、一つの景観を「物語」として提示するという傾向があります。これが、新しい景観認識を生み出し、人々のイメージに答え、観光を推進しようとする行政の思惑や地域の人々の反応によって、世界遺産の評価に従う新しい景観を再生産するという状況が生まれています。
増え続ける「世界遺産」の先
(編集部)世界文化遺産の対象が「重層的」価値に移行していくとまだまだ世界遺産は増えていきそうですね。
(井上先生)文化的景観などあらゆる文化的アプローチを含めていくと、世界遺産だらけになりそうですよね。だから、私は、世界文化遺産は、それを新たな地域産業の構築や地域景観(環境)の見直し、地域振興などのために活用する方法の一つだと捉えればよいのではないかと考えているんです。
(吉田先生)授業の中で学生から「世界遺産が増え続けると、その価値が薄まりませんか?」という質問を受けることがあります。今の世界遺産の登録状況を見ていると、こと文化遺産についていえば有形・無形を問わず様々なモノやコトに文化的な価値を積極的に見出し、いわば雑食的にどんどん取り込んでいるようにも見えます。世界文化遺産の対象が無限に広がっていくと、そもそも世界文化遺産とは何かというある種の「矛盾」のようなものも今後は増えていくのではないでしょうか。
日本における世界文化遺産を例に、世界遺産に込められた多面的側面をさらに解き明かす! 【後編】なぜ世界遺産なのか?「創られた!?」世界遺産の多面的側面を考える。
まとめ
法隆寺や姫路城など分かりやすい「モノ」から、文化的景観などの人々の暮らしや生業にまで広がり続ける世界文化遺産。文化遺産のとらえ方が拡大している現状を確認しました。
後編では日本における世界文化遺産を例に、世界遺産に込められた多面的側面をさらに解き明かしていきます。