2020年7月で、「京アニ事件」(※1)から1年、「相模原事件」(※2)から4年が経過しました。事件発生当初も、時間がたって再び事件が取り上げられる際も、メディアでは加害者の過去や心理状況などが主に取り上げられることが多いです。一方で、京アニ事件では京都府警が事件発生直後から「被害者支援チーム」を発足させ、約100人態勢で安否不明家族や負傷者らの支援にあたったことが2019年7月24日付京都新聞で報じられるなど被害者側の視点もみられました。こうした被害者、そして被害者家族に求められる心理的ケアとはどのようなものなのでしょうか。また、被害者を守るための「犯罪被害者支援」には何があるのでしょうか。
今回は、神奈川県警察本部の被害者支援室で初となるカウンセラーを務め、警察庁犯罪被害者支援室で初めての臨床心理士となった経歴を持ち、現在は犯罪にあった被害者の心理や支援者の外傷性ストレスの研究をしている、心理学部准教授の櫻井鼓先生に話を聞きました。
(※1)2019年7月18日、京都府京都市にあるアニメ制作会社「京都アニメーション」で発生した放火殺人事件。
(※2)2016年7月26日、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件。
INDEX
犯罪被害者とその家族が抱える心の傷
「PTSD」の症状
(編集部)2020年7月で「京都アニメーション放火殺人事件」から1年、「相模原障害者施設殺傷事件」から4年が経過しました。「京アニ」事件では「被害者支援チーム」がクローズアップされ、被害者や関係者へのケアについても知られるようになりました。先生は神奈川県警察本部で臨床心理士としてカウンセリングを担当されていた経歴があります。心にもダメージを受けた犯罪被害者と向き合う中でどのように感じていますか?
(櫻井先生)痛ましい事件・事故があとを絶ちません。被害者が亡くなった場合、その家族は悲痛な思いにさらされます。命にかかわるケースでなかったとしても、多くの犯罪は、心に癒しがたい傷跡を残します。まずは、犯罪被害者やご遺族がどのような思いを抱え、どのような状況におかれるのかということを、知ってほしいと思います。特に、交通事故・事件や性犯罪なども含め、生死にかかわる出来事を経験した犯罪被害者には、専門的にいうと「PTSD」(※3)がみられることがあります。
(※3)心的外傷後ストレス障害。生死にかかわるような出来事に曝された後、悪夢を見たり、些細なことでビクビクしたりするなどのさまざまな精神症状が1か月以上続く。
「PTSD」にみられる症状では、時折ふと事件のことがよみがえるフラッシュバックが有名です。これは、被害者本人は事件のことを思い出したくないにもかかわらず、記憶がよみがえってしまう、という症状です。また、事件現場に近づけなくなってしまったり、仲のいい知り合いであっても、背中を叩かれるだけで恐怖を感じたりすることもあります。
さらに、この「PTSD」の中にはもう一つ重要な症状が含まれます。それは、自分のことを必要以上に責めてしまうことです。どの症状も非常に苦しいものですが、本人に原因がないにもかかわらず自分自身を責めることは、長期的な苦しみを生みます。
ただし、こういった症状は、犯罪の被害に遭えば、誰もに起こる可能性があり、自分だけがおかしいのではないということを、本人も周囲の人も知っておく必要があります。被害者の家族の悲嘆
(編集部)被害者のご家族、そしてご遺族はどのような苦痛を感じているのでしょうか?
(櫻井先生)家族の誰かが被害に遭うと、家族も被害者本人同様に、大きな心の傷を負います。特に、ご遺族には「複雑性悲嘆」(※4)がみられることがあり、長期に及ぶことも少なくありません。
(※4)近親者の突然の死や事件等の暴力的な死の際に起こる悲嘆反応が長期にわたって続き、社会生活や日常生活に影響を及ぼしている状態。
事件によって、家族全体のバランスが崩れてしまうケースは非常に多いです。家族が一体となって事件を克服していくと思われがちですが、それは間違いです。それは、家族員それぞれの立場や関係性によって、思いが異なるからです。例えば、ずっと仲のよかった夫婦であっても、事件をきっかけに離婚してしまうこともあり得ます。家族だけでは立ち直ることが難しい問題だからこそ、第三者のサポートが必要になります。もし被害者家族の方から相談を受けた時は、どのように家族全体を支えていけるかを考える必要があります。
被害者の気持ちを理解し二次被害を防ぐ
なぜ二次被害が生まれてしまうのか?
(編集部)二次被害とは具体的にどのようなものなのでしょうか?
(櫻井先生)犯罪被害そのものによる直接的な被害ではなく、被害後に生じるさまざまな問題に苦しめられることを二次被害と言います。具体的には、捜査や裁判の過程における負担、失職や転職による経済的困窮、マスコミ報道によるストレスなどがあります。
被害者の周囲の人たちがするうわさ話が、被害者とご遺族の心に傷を負わせていることも少なくありません。言っている本人はその気がなくても、知らず知らずのうちに被害者を傷つけているケースがあります。これらが起因し、犯罪被害者の自責感を強めてしまうことがあるため、被害者に接する人、周囲の人は、言葉掛けに気を付けることが大切です。
二次被害を防ぐために
(編集部)二次被害を防ぐためにはどうすればよいのでしょうか?
(櫻井先生)犯罪被害を受けると、「被害者にも落ち度があったのではないか」といわれることがありますが、これは大きな間違いです。そもそもそういった見方を変えていかなければなりません。例えば、自宅侵入の被害に遭ったとして、鍵をかけ忘れる被害者が悪いのではなく、勝手に入ってくる方が悪いのです。被害者とその家族がどんな苦しみを味わっているか、という被害者側の視点を持つことが大切だと思います。
被害者とその家族が抱える問題は、決して当事者だけの問題ではありません。誰しもが被害者になる可能性があります。犯罪被害とは、自分たちの問題でもあると考えることで、二次被害は減っていくのではないでしょうか。
犯罪被害者を守る支援とその課題
犯罪被害者を守る支援
(編集部)日本の犯罪被害者支援にはどのようなものがあるのでしょうか?
(櫻井先生)犯罪被害者支援というのは各機関がさまざまな分野で行っています。警察や検察庁、地方自治体、医師会、各都道府県の臨床心理士協会・公認心理師会、さらには民間の支援団体も存在します。それらの機関が、犯罪被害者の心理的なサポートや付き添い支援などを幅広く行っています。「京アニ事件」で発足した京都府警の「被害者支援チーム」はその例の一つです。
また、被害者は心の傷だけでなく多くの苦悩を抱えています。犯罪被害者は被害の影響により引っ越しや休職・転職を余儀なくされ、経済的な損失を被ることがあります。事件が裁判になった場合には、事件手続きの流れにそった支援が必要になることがあります。現在では、経済的支援や、弁護士会による法的な支援も行われています。私たちは、精神的な支援だけではなく、被害者のニーズに沿い、多職種の人々と連携して総合的な支援の充実を目指すべきと考えています。
関心を集め、よりよい支援を
(編集部)日本の犯罪被害者支援が抱える課題について教えてください。
(櫻井先生)心理面について言えば、今はまだ、精神科医療との連携が十分ではないように感じています。
冒頭でも話したとおり、被害者の方は「PTSD」などの症状で長期的に悩まれる場合が多いのですが、支援機関と精神科医療との連携は道半ばです。この連携が円滑に進むことで、被害者が必要な精神科医療につながりやすくなります。都市部などの支援機関であればこの連携が取れているところはありますが、日本全国を見渡すとまだまだ十分でない地域があることが現状です。
また、犯罪被害者を専門的な観点から支援する心理職や医療従事者が少ないことも課題です。被害者とその遺族の気持ちに関心を寄せ、知ってもらうことで、犯罪被害者への理解や関心を底上げし、将来的に専門家を増やすことにもつながるのではないでしょうか。
私は長く被害者やその家族のカウンセリングをし、現在も研究を続けています。今回の記事で、そういった方々の気持ちに触れ、関心を寄せていただければと思います。
まとめ
普段ニュースなどではなかなか触れられることがない、犯罪被害者とそのご家族の心理状況はとても深刻なものであることが分かりました。被害者の方々が抱える苦悩は長期的に続き、日々、事件で負った傷と向き合い続けています。私たちにできることは、犯罪被害者とそのご家族の気持ちを理解し寄り添うこと。そうすることで、苦しい思いをする方が少しずつ減っていくのではないでしょうか。