2023年に政府は「資産運用立国」を重要政策に掲げ、2024年4月にはNISA(少額投資非課税制度)の拡充が行われました。さらに今後はiDeCo(個人型確定拠出年金)の拡充や金融・資産運用特区の開始などが予定されています。 今や投資は、私たち市民にとっても身近なトピックとなりつつあります。政府が発信する金融政策の情報を発端に、資産形成のためにと投資を始めた方も多いのではないでしょうか。しかし一方で2024年8 月には「日経平均株価の過去最大の急落」も報じられるなど、投資によるリスクも懸念されています。 投資ブームが高まる今、私たちは投資のリスクとどう向き合うべきなのでしょうか。そのヒントを求め、投資取引における民法の課題を長年研究してきた法学部の永田泰士准教授に、投資取引でのリスクと民事トラブルの歴史、そして現在の課題を伺いました。
INDEX
証券市場の進展と投資者保護をめぐる議論
日本版金融ビッグバン以降、ネット取引が急成長した証券市場
(編集部)投資がより身近になってきた今、投資取引の仲介役を担う証券会社と個人の接点も増えてきました。まずは証券会社ついて教えてください。
(永田先生)株式や投資信託といった投資商品を扱う証券会社は、もともと対面取引が基本でした。これに対し、IT技術の革新と規制緩和によって2000年頃から増え始めたのが、非対面で取引するネット証券会社です。 ここから先、従来の対面営業型の証券会社を「対面証券会社」、オンラインで取引が完結する証券会社を「ネット社証券会社」と呼び分けることにしましょう。
1996年、当時の橋本龍太郎首相が、日本の金融市場の競争を強化し、世界の中で魅力的にするために「日本版金融ビッグバン(金融市場の大改革)」という政策を打ち出し、金融市場の自由化を推し進めました。その結果として1998年には証券業が免許制から登録制になり、免許を持つ特別な企業だけが証券業を営む時代は終わりました。あわせて、株取引における委託手数料も従来の固定手数料制から、証券会社が独自に手数料を定められるようになりました。 この流れとインターネットの普及を追い風に出現し急伸したのがネット証券会社です。ネット証券会社は瞬く間にシェアを伸ばし、証券市場は一変しました。2014年時点の調査で個人投資家の株取引の90%以上がインターネット経由だったと報道されましたし、NISA口座に関しては、2024年6月末時点、ネット証券会社大手2社だけで1000万口座を優に超えたと報道されています。
(編集部)今では大半の投資取引がネット証券会社経由なんですね。対面証券会社とネット証券会社は、具体的にどういった点で違いがあるのでしょうか。
(永田先生)対面証券会社では、人対人の信頼関係に基づいた取引が重視されています。営業員が各個人投資家の意向や実情を踏まえ、それに合致する投資アドバイスを行うなど、サポートが手厚いのが特徴です。ネット証券会社が出現する前は、証券会社といえば、地域に支店を置いて営業員を配置し、個人投資家の所へ赴き注文を取る……というビジネスモデルが当たり前でした。 一方、ネット証券会社では、基本的に営業員は介在しません。投資アドバイスなどのサービスはなく、代わりに手続きの利便性、手数料の安さが魅力です。 現状での違いを飛行機の旅に例えると、高い料金を払って手厚いサービスを提供してくれる老舗の航空会社を選ぶか、サービスが少ない代わりに費用が安く済むLCCを選ぶか、といったイメージです。
何が変わった? 裁判例にみる証券会社と投資者のトラブル変遷
「絶対儲かるって言ったじゃないか!」民事紛争多発の1990年代
(編集部)ネット証券会社の台頭によって、個人投資家と証券会社との関係や、個人投資家とネット証券会社とのトラブルの内容は変わったのでしょうか?
(永田先生)変わりました。何が変わったかを知るには、個人投資家と証券会社との民事トラブルの歴史をたどるのが良いでしょう。 金融商品をめぐる個人投資家と証券会社の民事紛争は、バブル崩壊後の1990年代から急増しました。その理由は、1990年代より前との市場環境の違いにあります。まず、1990年代より前は、いわゆるバブル期の相場環境にありました。そこで、投資をすれば、比較的利益を得やすい環境であったといえます。これに対して、1990年代のバブル崩壊後は、よく知られているように、相場が急落しました。これにより、損失を被る個人投資家が多く出ました。また、1990年代に向かうとともに、徐々に金融商品の自由化が進み、それまでになかったタイプの金融商品――いわゆるハイリスクハイリターンのものを含む――の取扱いが増えていきました。この両者が相まって、証券会社の営業員による強引な投資勧誘を受けて投資を行った個人投資家が、大損失を被り、証券会社に損害賠償を求めるというパターンの民事訴訟が多発することとなりました。 簡単にいえば、「絶対もうかるといったじゃないか」、「安全志向の自分にこんなハイリスク商品を勧めるなんて不当だ。しかも、リスクの説明を全くしなかったじゃないか」といった具合です。このような投資勧誘は、1990年代より前にもあったはずですが、右肩上がりの相場環境では、個人投資家が大損失を被ることが比較的発生しにくかったことから、民事紛争に発展する例はそこまで多くなかったのでしょう。それが、バブルの崩壊と、金融商品の多様化を背景に、大規模な損失を被る個人投資家が続出し、投資をするきっかけとなった投資勧誘の不当性・違法性を問う民事トラブルが多発したことから、「投資勧誘と証券会社の民事責任」という問題が顕在化しました。ただ、初期のころは、個人投資家の「自己責任」が強調され、個人投資家が敗訴するケースもみられました。
【自己責任】うま過ぎるあやしい話、乗る方が悪い!?
(編集部)投資における「自己責任」という言葉が出てきました。この用語について解説をお願いします。
(永田先生)そもそも投資とは、損をするかもしれないリスクを引き受ける見返りとして、安全な資産運用(預貯金など)よりも魅力的なリターンが狙えるものです。プラスのリターンは享受するけれども、もし損失が生じたら誰かに補填してもらう、というのは筋が違います。自分で決めた投資判断なのですから、その結果にも、それがプラスであれ、マイナスであれ、自分が責任を持たなければなりません。だからこそ、どの金融商品にどの程度の金額を投資するかは、自分で十分に精査して判断すべきです。安易な投資判断をしてしまい、その結果損失を被ったとしても、それは、十分な情報収集や分析を怠った自分の責任であり、それなのに、損失を誰かに転嫁することは認められません。投資決定の段階でも、自己責任が求められます。このような考え方が「投資における自己責任の原則」です。
1990年前後の初期の民事紛争では、この自己責任を個人投資家に厳しく求める判決がそれなりにありました。証券会社が「必ず儲かりますよ」とハイリスクな商品を勧めても、それはセールストークであり、違法とまでは評価できず、投資に損は付きものであることは社会常識である以上、逆に、安易に真に受けた側の自己責任が問われるべきだという考え方です。しかし近年は、証券会社側の勧誘行為の違法性が認められやすくなってきました。もちろん違法勧誘が行われたことが前提ですが、昔と同じようなケースであっても、個人投資家が勝訴する可能性が高まっています。
【自己決定】人間はリターンに目がない&リスクを軽視しがち
(編集部)なぜ個人投資家が守られるように風向きが変わったのでしょうか。
(永田先生)「投資は自己責任」であるという考え方自体は今も昔も変わっていません。変化があるのは、「自己責任」を問うための前提となる「自己決定」についての考え方です。 投資決定(自己決定)のために必要な情報は、個人投資家が自己責任で収集し、分析し、評価しなければならず、それは、証券会社の営業員によってもたらされた情報についても同様であり、甘いセールストークを個人投資家が真に受けたのであれば、それは、情報の分析や評価に失敗した自分の責任だという従来の自己責任論に対して、いくつかの根本的疑問が投げかけられるようになりました。
まず、証券会社やその従業員と個人投資者の非対等性が強調されるようになりました。証券会社やその営業員は、投資の専門家であり、個人投資家との対比で、豊富な知識と経験を有しています。だからこそ、個人投資家は、自分よりも専門性に優れた証券会社の営業員のアドバイスを頼りにします。その前提として、個人投資家は、専門家が悪意を持って顧客に付け込むようなことはしないだろうという一定の信頼を置くものです。このような営業員の専門性と誠実性に対する個人投資家の信頼があるからこそ、証券会社の営業は成り立っています。この信頼をいわば悪用し、個人投資家の投資判断を積極的に歪めるような悪質な営業が行われたのに、「安易に真に受けた方が全面的に悪い」というのはおかしいのではないかということが指摘されるようになりました。 加えて、「何でもかんでも自業自得と切り捨てるルールは、人間の性質を軽視した不適切なものではないか」と指摘されるようになりました。人間とは本来、誰もがメリットやリターンに目を奪われやすい反面、デメリットやリスクには目を向けにくく、目を向けたとしても過小評価しがちであるいというクセを持っています。「しまった、軽く考えすぎていた!」といった失敗は、誰しも大なり小なり身に覚えがあるのではないでしょうか。 とすると、証券会社の営業員の不当な勧誘は、専門家が、自分の専門性と誠実性に対する個人投資家の信頼を悪用し、ただでさえリターンに目を奪われやすくリスクに目を向けにくいという性を有するという脆弱さを抱えた個人投資家に対して、なお一層リターンを強調し、リスクから目をそらさせていることになります。それにもかかわらず、自分が決めた以上「投資は自己責任」と切り捨てるのは、鉄壁の合理性を備えた投資家に対しては適切なルールかもしれませんが、私も含め、生身の人間の合理性は、そこまで鉄壁なものではない以上、適切なルールだとはいえません。
このような議論が展開されていくなかで、個人投資家には自己責任が求められるといっても、証券会社が個人投資家の自己決定を積極的に歪めるような不当な働きかけを行うことは許されず、また、個人投資家の自己決定に対して自己責任を求める前提として、主要な投資リスクや投資コストなどについては、証券会社が個人投資家に対して十分に説明を行い、周知徹底をしなければならないと考えられるようになりました。そのような条件のもとで個人投資家が行った投資判断、つまり自己決定には、自己責任を求めることができる、というのが、現在の自己責任論の考え方です。
(編集部)個人投資家には有利に、証券会社には不利に変わってきたということでしょうか?
(永田先生)はい。ただ、こういった考え方の変化は、証券会社側にも重要な利点があります。悪質な投資勧誘が横行することは、誠実に業務を行っている証券会社の方々にとってみれば、深刻な脅威です。自分に対する個人投資家からの信頼も失われかねないためです。そこで、証券会社が違法勧誘を行い、個人投資家に損失が生じた場合には、証券会社は損害賠償責任を負うという民事責任が確立することは、誠実に業務を行う証券会社の方々にとっては、自分に対する個人投資家の信頼を維持しやすくなるという大きな利点をもたらします。
ネット証券会社の台頭で民事紛争に変化はあった?
(編集部)ネット証券会社と対面証券会社ではビジネスモデルが異なるそうですが、ネット証券会社の利用が増えた今、個人投資家とネット証券会社との民事紛争の特徴はどのようなものでしょうか。
(永田先生)1990年代の民事紛争は、投資「勧誘」の違法性を争うものであったとお話ししました。これに対して、2010年頃から、勧誘ではなく、「販売」行為の違法性に焦点が当たる民事トラブルが顕著に増え続けています。ネット証券会社の営業では、勧誘行為そのものがありませんからね。また、ネット証券会社と個人投資家の紛争の特徴として、ネット証券会社が個人投資家を訴えるものが多いという点も挙げられます。
(編集部)証券会社が個人投資家を訴えるとは、1990年代とは原告・被告が逆のパターンなんですね。
(永田先生)投資取引の中に「証拠金取引」というものがあります。株の信用取引もそのうちの一つです。株の信用取引というのは、一定額の資産を証券会社に担保(証拠金)として預け、証券会社からそれ以上の金額を借りて株を購入する、といった取引のことです。この取引はリスク性が高く、預けた証拠金では清算できない損金が生じることもままあります。そのような未精算の損金を個人投資家がネット証券会社を介した証拠金取引で生じさせ、その損金を立替えたネット証券会社が、個人投資家に返済を求めて訴えを起こすケースが増えています。 このパターンの訴訟では、ネット証券会社に訴えられた個人投資家が、自分の損失は、ネット証券会社の違法な「販売」行為によるものであるとして、ネット証券会社側に損害賠償を求めて争うというものが多くみられます。ただ、このような個人投資家の主張が認められる例は今のところほとんどなく、ネット証券会社側が勝訴しています。つまり、こうした個人投資家の損失は、自己責任の範疇であると扱われていることになります。
(編集部)こうした裁判の争点はどういったものですか?
(永田先生)投資取引の「販売ルール」にネット証券会社が違反したといえるかです。具体的には、取引にあたって、証券会社には、証拠金取引に関する主要なリスクやコスト、取引の仕組みを個人投資家に説明すべきことが求められています。これを「説明義務」といいます。そこで、ネット証券会社が行った電子メールやウェブ上の表示を通じた説明によって説明義務は果たされたといえるのかが問題となります。また、その前段階として、証拠金取引などのリスク性の高い取引については、取引開始を希望してきた個人投資家に取引の適性があるのかを審査すべき義務があるのではないか、そこで、その個人投資家に、証拠金取引を行うことを認めたこと自体が、義務違反であるといえるのではないかが問題となります。これは、「適合性原則」と呼ばれるものです。 これらは、もともと「勧誘ルール」として発展を遂げてきました。個人投資家に取引を勧誘し、販売を行う以上、その個人投資家に適しない取引を勧誘し販売してはならず、また、その個人投資家に適した取引の勧誘を行う場合でも、有利性の強調を伴う勧誘を行うのだから、その取引の主要なリスクやコスト、取引の仕組みについて、その個人投資家にとって理解できるような説明をしなければならないというものです。専門家である証券会社が非専門家である個人投資家を勧誘によって「取引に引き込む」以上、遵守されなければならないこと、それが「勧誘ルール」です。 これに対して、「販売ルール」というのは、証券会社が勧誘を行わないにせよ、専門家である証券会社は、非専門家である個人投資家に対し販売を行う上で一定の配慮をすべきだというものです。そこで、販売ルールの方は、証券会社が勧誘を行ったか否かに関わりなく妥当します。
この「販売ルール」と「勧誘ルール」の区別は、従来、さほど意識されてきませんでした。それは、証券会社の営業には「勧誘」が伴うのが通常であったためです。勧誘販売が行われる場合、勧誘ルールとは別に、販売ルールを単体で問題とする必要は全くありません。販売ルールと勧誘ルールとで、証券会社の義務の内容や水準が違うのか、同じなのかという大問題はありますが、「引き込む」場合の証券会社の義務よりも、「顧客注文に応じるだけ」の場合における証券会社の義務の方が重いとはおよそ考えられないでしょうし、そのような考え方は今のところありません。そこで、勧誘販売の場合、勧誘ルールが守られているが、販売ルールに違反している場合というのはあり得ません。これが、勧誘販売において、販売ルールを単体で問題とする必要がない理由です。
しかし、ネット証券会社の出現により、その様相が大きく異なることになりました。ネット証券会社は、通常、勧誘を行わず、個人投資家は、自分の判断で取引を行います。そこで、ネット証券会社の出現と拡大に伴い、「販売ルール」が単体として問題となるようになりました。このような事情から、販売ルールに基づく(ネット)証券会社の義務の具体的内容は、未だ十分に固まっていません。議論の蓄積がある勧誘ルールとの比較で、販売ルールに基づくネット証券会社の義務は、従来の勧誘ルールに基づく対面証券会社の義務と同じとすべきか、それとも低次とすべきかなど、販売ルールの内容を徐々に詰めていくのは、今後の重要な課題です。「自己責任」というキーワードの側から言い換えると、対面証券会社に投資勧誘(助言)を受けながら取引を行う場合に個人投資家に求められる自己責任と、ネット証券会社を通じて主体的に取引を行う場合に個人投資家に求められる自己責任の内容が同じなのか、それとも異なるのかという、新たな問いが生じています。
(編集部)同じキーワードでも、示す内容が変化してきているということですね。
(永田先生)今後、注目すべきテーマの一つは、「販売ルール」としての適合性原則の展開です。もともと、適合性原則は、「その投資家に適しない取引を勧誘してはならない」ことを証券会社に命じる「勧誘ルール」として形成され、発展を遂げてきたためです。では、勧誘を受けることなく、自ら取引を希望している個人投資家に対して、「その投資家に不適合な取引を認めてはならない」という義務がネット証券会社にあるのか。あるとして、どの程度の水準の審査がネット証券会社に求められるべきなのか。このような問題の解明は、今後の喫緊の課題です。
紛争事例にみる「民法学的課題」の悩ましさ
(編集部)近年の民事トラブルとして象徴的な具体例をご紹介ください。
(永田先生)2011年に和歌山地裁で判決が出た事案です。 被告の個人投資家は、元農家の70代の男性でした。取引当時は無職で収入は月4~5万円程度の年金のみ、財産は自宅不動産と所有する田畑のほか、唯一の老後資産である預貯金が700万円程度、投資経験は若い頃に少しだけあったそうです。 この男性は、友人から株でもうけたという話を聞き、興味を覚えてネット証券会社に口座を開設し、預貯金のほぼ全額を使って少数の銘柄に集中投資を行い、わずか約1年半で資金を1,400万円に増やしました。その後、信用取引も開始し、持ち株を担保に証券会社から資金を借り、持ち株と同じ銘柄を購入していたところ、相場が急落して最終的に投資につぎ込んだ預貯金の全額を失っただけでなく、2,300万円の決済損金(ネット証券会社への借金)が発生し、これをネット証券会社に裁判で請求されました。これに対して、被告の個人投資家は、証券会社には適合性原則違反や、説明義務違反があったとして、証券会社に損害賠償を求めて争いました。 これは、ネット証券会社が販売ルールに基づいて負担する義務の内容が問われた事案です。地方裁判所では個人投資家が勝訴しましたが、高等裁判所では個人投資家側が敗訴し、後に上告不受理となって高裁の判断が確定しています。男性は、唯一の老後資金として保有していたであろう700万円全額を失っただけでなく、最終的に2,300万円の借金を抱える結果になりました。
(編集部)永田先生はこの判決をどのように見ますか?
(永田先生)非常に悩ましい問題です。販売ルールとしての適合性原則を認め、ネット証券会社に求められる義務を厳格化するならば、ネット証券会社は、信用取引の開始を希望する個人投資家の財産状態等を入念に調べ、取引適性があるといえるのかを厳密に審査すべきことになりますし、また、場合によっては、口座開設後の取引状況をチェックし、不合理な点があれば、専門的見地から取引の規模を縮小すべきだと勧告するなどのアドバイスをすべきことになります。そうすれば、先ほどのようなケースで、今後は、個人投資家を勝訴させやすくなりますし、また、老後生活の基盤が破壊されるといった事態を未然に防ぎやすくなるでしょう。 他方で、取引ルールとしての適合性原則を高度化させ、ネット証券会社に個人投資家に対する手厚いサポートを義務付けることが、全ての個人投資家の利益になるかといえば、そうとは言えない面があります。なぜなら、そのようなサポートをネット証券会社に求めた場合、そのようなサポートを実施するには、コストと時間がかかる以上、ネット証券会社が現在提供している安価で利便性の高いサービスが維持できなくなる可能性があります。そもそも、ネット証券会社がこれだけシェアを拡大しているのは、手厚い投資サポートを得るよりも、安価な手数料で、かつ、利便性の高い環境で取引を行いたいと望む個人投資家がとても多いためです。手数料の有利性や取引環境の利便性を犠牲にして、ネット証券会社の投資サポートが充実した場合、それを迷惑だと評価する個人投資家にとっては、その利益を減じることになってしまいます。 しかし、そうはいっても、先ほどの70代の男性のようなケースは、今後も自己責任だと割り切ることができるか、そこに問題は全くないといえるかというと、そう単純に割り切れるものではないと私には思えます。これが、私が悩ましいと考えている理由です。
投資ブームと投資取引ルールの変容。今、私たちが持つべき心構えとは?
ルールが変わる過渡期。ネット証券業界が抱える課題は…
(編集部)証券会社の在り方が変わってきている中、個人の資産運用を勧める国には果たすべき役割はないのでしょうか?
(永田先生)「全ての」個人投資家にとって望ましい販売ルールの具体化を進めることだと考えています。先ほど、販売ルールとしての適合性原則を高度化させることは、個人投資家にとって二面性があるとお話ししました。証券会社の民事責任の拡張により保護を受ける個人投資家も生じる反面、それに伴うコスト増や利便性の減少による不利益を被る個人投資家も生じてしまうというものでした。 従来のネット証券会社の民事責任をめぐる議論では、ネット証券会社にも積極的投資家保護を求める見解が圧倒的多数派であり、副作用にも着目する私のような見方は少数派です。ただ、一見すると個人投資家のためになると思われるネット証券会社の民事責任の拡張論には、相応に深刻な副作用が伴いかねないことは、個人投資家の利益を擁護することがルールの目的であるのならば、十分に意識されるべきでしょう。 他方、私は、ネット証券会社の民事責任やその拡張が一切不要であると考えているわけではありません。副作用をさほど生じさせないように工夫を図りながら、一般投資家のネット証券会社を通じた主体的取引環境を整備でき、その整備の段階を一段一段高めていけるのならば、それは全ての個人投資家にとって望ましく、歓迎されることでしょう。その具体化を積み重ねることが、販売ルールの具体化に求められていると思います。
人間とは「都合のいいもの」しか見えない生き物である
(編集部)政府が発する「貯蓄から投資へ」のスローガンの背後にあるのは、資産に対する自己責任領域の拡大を推進するような政策です。投資取引をする個人はどのようなことに留意すべきでしょうか。
(永田先生)私もそうですが、人間というのは、どうしても、リターンに目を奪われやすく、短期間で大きなリターンを得ることもできるという情報に接すると、それに飛びついてしまう傾向にあります。しかも、短期間で大きなリターンを得ようとするならば、それに比例して、短期間で大損失を被るリスクも覚悟しなければならいのに、それには目を向けていなかったり、過小評価をしてしまう傾向にあります。 そもそも、人間は、一般にリスクを非常に嫌う傾向にあることが知られています。それにもかかわらず、「短期間で大きなリターンを得ることを目指す(それに伴い短期間で大損失を被るリスクを受け入れる)」という選択に人間が陥りがちなのは、自分の選択に含まれている「(それに伴い短期間で大損失を被るリスクを受け入れる)」の中身に全く目を向けていない、あるいは極めて過小評価してしまっている証拠です。人間は自分にとって「都合のいいもの」に目を奪われがちなのです。
そして、国が推奨しているのは、短期間で大きなリターンを狙うといった、いわば「投機」ではなく、「投資」であることを今一度十分に留意すべきです。この両者は、全くの別物だからです。「投資」として念頭に置かれているスタイルは、その時々の余剰資産を用いて、長期間にわたりコツコツと、投資のタイミングを分散させ、かつ、投資対象を分散させながら、運用資産を積み上げていくというものです。このスタイルは、短期間で大きな利益を得ることはできません。また、市況の低迷下では運用資産の価値がガクンと下がってしまうなど紆余曲折を経ます。ただ、長期でみれば、投資収益を生じさせ、拡大させることができる可能性が十分に高いというのがこのスタイルの特徴であり、非常に重要な利点なのです。 その時々の余剰資金だけを用い、投資のタイミングと投資対象を分散させながら、長く腰を据えて投資を継続することにより、一般に人間が非常に嫌うリスクを大きく減じることができます。しかし、この利点はかなり「都合のいいもの」であるはずなのに、なかなか目が向けられにくい場合があります。なぜかというと、私たち人間は、「目先の利益にはかなり敏感だが、遠い将来の利益にはとても鈍感である」という性質も大なり小なり備えていることが関係しているのでしょう。 私たち人間には誰にでも不合理な性質があること、そして、長期的「投資」と短期的「投機」とは全くの別物であることに、私たちはよく留意すべきではないかと思います。
まとめ
日本では1996年の「日本版金融ビッグバン」以降、金融市場の自由化が進んできたこと、さらにIT革命によりネット証券会社が急成長してきたことで、証券会社と個人投資家との民事トラブルの構図にも変化があったことが分かりました。争点とされる販売ルールのポイントとなる「適合性原則」「説明義務」については、証券会社側だけでなく投資家側も正しく把握する必要があるのではないでしょうか。 投資には必ずリスクが伴うものですが、対面取引においてもネット取引においても“自分にとって良いと思える判断を、きちんと自分で下すこと”が大切です。近年の政府広報によって、新時代の資産形成や投資教育への関心が高まる中、個人投資者がいかに考え、いかに判断すべきかという点について、改めて考えさせられる内容でした。
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