「うっかり」はなくならない!? ヒューマンエラーとの向き合い方と、新しい安全構築の考え方。

上田 真由子

上田 真由子 (うえだ まゆこ) 追手門学院大学 経営学部 経営学科 准教授専門:安全工学、認知心理学、ヒューマンファクター

「うっかり」はなくならない!? ヒューマンエラーとの向き合い方と、新しい安全構築の考え方。
出典:Adobe Stock

人間の判断や行動が引き起こす「ヒューマンエラー」は、「意図しない結果を生じさせる人間の行為」を意味する言葉です。時に重大な事故に繋がったケースが取り沙汰されることもありますが、誰もが仕事において遅刻やダブルブッキング、聞き間違いなど「やらかし」「うっかり」と言われるようなミスを体験したことがあるのではないでしょうか?

現代では、誤解や行き違いなどのヒューマンエラーが最悪な事態を招かないよう、システム設計も高度化してきました。しかしそれでも人が関わる場面でのミスが無くなることはありません。 私たちはヒューマンエラーとどう向き合っていくと良いのでしょうか? 今回は安全工学が専門で、2006年開設の西日本旅客鉄道株式会社「安全研究所」の発足メンバーとしても研究に従事した経歴をもつ上田真由子准教授による解説です。

人間である以上「うっかり」は仕方ない!?

人間である以上「うっかり」は仕方ない!?
出典:Adobe Stock

ヒューマンエラーの背景にある「人の特性」

(編集部)上田先生の専門である安全工学とはどういった内容を扱う分野なのでしょうか。

(上田先生)災害や事故の発生原因、仕組みを分析し、発生しづらい環境の在り方や被害を最小化する方法を研究する分野です。安全工学で取り扱う話題では、今回のテーマであるヒューマンエラーが深く関与していることが多く、私は組織におけるヒューマンエラーを引き起こす、ヒューマンファクターという人間の特性について長く研究しています。

(編集部)ヒューマンエラー、ヒューマンファクターの基本的概念について教えてください。

(上田先生)ヒューマンエラーは、安全工学における「不安全行動」の一種なので、まずは不安全行動についてお話ししましょう。 労働現場など、多くの人や装置が組み込まれたシステムでは、人の特性からくる行動が大事故の引き金となることがあります。この引き金となる行動が「不安全行動」と呼ばれるもので、具体的に表現すれば「労働者本人や関係者の安全を阻害する可能性がある行動」のこと。 そして不安全行動は、意図的に起こすもの=違反と、意図せず起こすもの=ヒューマンエラーに分類されます。意図的な不安全行動は、いわゆる逸脱行動や規則違反と呼ばれるもので、やるべき工程を故意にやらなかったり、「まあいいや」とわざとルールを守らなかったりといったケースが挙げられます

一方、意図しない不安全行動、いわゆるうっかり行動がヒューマンエラーです。ヒューマンエラーが起こる背景には、経験や慣れによる「し損ない(スリップ)」、記憶エラーによる「し忘れ(ラプス)」、自身が支持する情報だけに頼る「思い込み(ミステイク)」があります。これらのうっかり行動は、人ならではの特性であり、完全に防げるものではありません。そして、これらのうっかり行動と違反(行動)に繋がる人ならではの特性が、ヒューマンファクターと呼ばれている私の研究テーマです。

(編集部)慣れた手順を飛ばしてしまった、予定を間違えて覚えたといった失敗は、大小を問わず誰でも身に覚えがあることです。そういったうっかりが、時には大きな事故を招いてしまうのですね。

(上田先生)組織とは、装置や環境、人が複雑に絡みあったシステムの集合体です。一見ささいなヒューマンエラーがさまざまな形でシステム全体の機能に影響し、深刻な事態をもたらすことは少なくありません。一方、明るい情報としては、作業内容や周囲の環境が人の特性にマッチしているほど、ヒューマンエラー発生の可能性が下がることがわかっています。

人と環境をまるっと考える安全構築のための「m-SHELモデル」

(編集部)人である限りエラーからは逃れられない。私たちはヒューマンエラーを防ぐために何ができるでしょうか。

(上田先生)ヒューマンエラーによる事故を防ぐための仕組み構築については、昔から研究されてきました。中でも有名なのがKLMオランダ航空のホーキンズ機長により開発されたSHELモデルです。 SHELモデルは昔から世界的に知られていますが、今、日本で普及しているのはSHELモデルを発展させた「m-SHEL(エム・シェル)モデル」ですので、今回はそちらをご紹介しましょう。

m-SHELモデルを提唱したのは、ヒューマンファクターの研究者・河野龍太郎先生(自治医科大学名誉教授)です。「m-SHEL」の名称は構成要素の頭文字を取ったもので、従来のSHELモデルから引き継いだ「Software(ソフトウェア)」「Hardware(ハードウェア)」「Environment(環境)」「2つのLiveware(作業者本人/周辺の関係者)」に、新たに「management(管理者)」の要素が加わっています。イメージ図は、ヒューマンファクターの概念を表していると捉えてください。

m-SHEL(エム・シェル)モデルの概念図
m-SHEL(エム・シェル)モデルの概念図

(編集部)このm-SHELモデルはどのように利用されるのでしょうか。

(上田先生)不安全行動による事故が発生し、どこに原因があったのかを考える際に、要素の整理のためによく用いられています。 うっかりミスや違反行動を起こしてしまったL(作業者本人)を中心に置き、それを取り巻く環境や物事、人物などとの相関関係を書き出すなどして可視化します。これにより、要素ごとの分析では気付きにくかった、ヒューマンエラーの発生要因を各要素の関係から分析できるのです。

(編集部)m-SHELモデルのベースとなったSHELモデルに加えて「m=管理者」の要素が加わっているのですね。

(上田先生)管理者・監督者は、m-SHELモデルの中心となるL(作業者)の特性に合わせ、Lを取り囲むその他の要因は隙間を埋めるように設計し、管理することがとても大事だとされています。m-SHELモデルでは、管理者を含む人間関係も重要な要素と捉えていて、「m」が小文字なのは、m(管理者)が強く表面に出ると、L(作業者)のやる気を阻害し、パフォーマンスが下がるという河野先生の考えが反映されているんですよ。

ペナルティを与えるだけでは事故は防げない

(編集部)上田先生は、JR福知山線脱線事故の後に設立された西日本旅客鉄道株式会社の「安全研究所」で、発足メンバーとして研究に従事されていましたね。

(上田先生)安全研究所は、ヒューマンファクターに対して、企業全体の理解が足りなかったという脱線事故への反省から、二度とこのような重大な事故を繰り返さないとの決意のもと設立されました。現場に真に役立つ実効性のある研究・調査をミッションとし、ヒューマンファクターの視点を中心に多角的に活動しています。 研究所では、ヒューマンエラーを「システムから要求された作業内容やその時の環境が人間の特性とうまく合致せず、システムの期待と異なった作業が行われること」と捉えています。

(編集部)事故発生後、世間では運転士管理方法が原因となっているのでは……といった声もありましたが。

(上田先生)一概にどれが致命的だったというわけではなく、事故調査委員会の見解では、当該エリアのATS(自動列車停止装置)の整備が遅れていたこと、関西における鉄道会社の競合事情を背景とする過密ダイヤ、それによる現場へのプレッシャーなどさまざまな要因が絡んだうえでの事故だったとされています。 また、運転士の方は事故直前の停車駅でオーバーラン(停止線位置通過)してしまっていて、時間的なプレッシャーに焦る気持ちもあった可能性も指摘されています。事故調査委員会の見解としては、オーバーラン後の車掌の方や司令室とのやり取りに気を取られてしまったことが直接的な原因ではないかと言われています。 良くないとわかっていたはずのスピード超過が事故に繋がったため、この事故のきっかけは厳密にはヒューマンエラーではなく違反にあたる可能性もありますが、様々な背景要因が複雑に絡まりあって生じた大事故であったため組織としての対策が必要不可欠な案件でした。

先にお話ししたように、ヒューマンファクターがある以上、ヒューマンエラーは多かれ少なかれ必ず起きます。だからこそ、当人だけを罰することは根本的な問題の解決にはならない。組織の安全運営を考えるなら「ヒューマンエラーは起きるもの」という前提に立って、責任追及型ではない対応が大切です。 この前提を企業全体として理解した上で、西日本旅客鉄道株式会社では2016年度から、「ヒューマンエラーによる事故は、懲戒対象としない」とする指針を定めています。

ヒューマンエラーが起きることを前提とした社会へ

ヒューマンエラーが起きることを前提とした社会へ
出典:Adobe Stock(AIによる生成)

失敗を減らす「Safety-I」、安全を増やす「Safety-Ⅱ」

(編集部)ヒューマンエラーはどうしたって起こるもの。この前提に立った時、私たちは組織の安全のためにどうエラーと向き合っていくべきでしょうか。

(上田先生)安全工学の分野におけるヒューマンエラーを防ぐための研究は、昔は個人・チームを対象とするものが一般的でしたが、もう少し大きな枠組みのシステムへのアプローチに変わり、今では組織全体を対象として考えることが当たり前になりました。 その中で、安全性向上への考え方として「Safety-I」「Safety-Ⅱ」というものがあります。Safety-Iは、「事故やミスの数をできるだけ少なくすること、定められた通りにものごとが進むこと」を目指し、大きなリスクが発覚したり何か事故が起きたりした場合に対処するリアクティブ(反応)の姿勢。軸にあるのは「うまくいかないことを最小化する」という考え方です。対してSafety-Ⅱは、「状況の変化の中で、ものごとが出来る限りうまくいくこと」を目指し、事態の進展、発生を予見しようと継続的に取り組むプロアクティブ(先取り)の姿勢。「うまくいくことを最大化しよう」という考え方がポイントです。 従来はSafety-Iの考え方が主流だったところ、2010年頃から認知システム工学の権威であるエリック・ホルナゲル氏らがSafety-Ⅱを提唱し、注目を集めてきました。

(編集部)両者の違いは、物事を悲観的に見るか、楽観的に見るかの違いでしょうか。

(上田先生)そういう言い方もできます。Safety-Iでは安全の定義を「失敗が少ないこと」と捉え、Safety-Ⅱでは「うまくいっていることが多いこと」と捉えています。また、Safety-Ⅰでは、人間の特性は厄介で危険なものとして捉えています。ですが、Safety-Ⅱでは、人間の特性は、日々変動する社会システムに必要不可欠で重要な要素であると捉えています。ヒューマンファクターの捉え方も大きく異なっていると言えますね。

「ハインリッヒの法則」という言葉を聞いたことがある人がいるかもしれません。労働災害について考えるとき、1つの重大事故の裏には29の軽微な事故があり、さらにその背景には300ものヒヤリハット事案--事故には至らなかったものの「ヒヤッとした」「ハッとした」レベルの危険が起こったこと--があるという経験則です。 このハインリッヒの法則について、Safety-Iは「ヒヤリハット事案を報告し合うことで重大事故を防ごう。リスクがあったら共有、対応しよう」と考えます。Safety-Ⅱは、「ヒヤリハットは起きたけれども、それだけで良かった。なぜ重大事故に繋がらずに済んだか考えよう」という視点からも安全を考えます。

具体的なケースに当てはめて考えてみると、ある作業現場で床が塗れていて社員が足を滑らせ転倒しそうになった……という場合。 Safety-Iだと、このようなヒヤリハット報告が現場で上がると、「清掃により一層気を配ること」という注意事項が伝達されて終わることが多いと思います。一方、Safety-Ⅱだと、「転ばずに済んだのはなぜだろう」という成功事例としても分析を行います。その結果、「規則を守って、滑りにくい靴を履いていたから」「同僚から直前に声をかけられて、転倒にまで至らずに済んだから」というような具体的な成功要因が浮かび上がります。つまり、各社員がすでに持っている、高い現場スキルに改めて気づくことができ、さらに、その行為を表彰できるプロセスにさえ繋がるのです。Safety-Ⅱの視点は働きがいを高め、更なる現場スキルの向上に繋がるのです。

安全を守るカギは、萎縮せず失敗を受け止め成功事例に学ぶこと

(編集部)Safety-Ⅱの方がポジティブな印象を受けます。今ではSafety-Ⅱの方がメジャーな考え方なのでしょうか?

(上田先生)Safety-Ⅱの説明では肯定的な言葉が並ぶこともあり、このお話をすると「Safety-Iの考え方はもう古くて不要になったのですか」といった質問を受けることもあるのですが、そうではありません。 Safety-Ⅱのヒューマンファクターに対する視点は「Safety-Iの考え方も継承しながら人間の特性の良い面にも目を向けよう」という側面もあります。両者は決して対立するものではなく、現場にはSafety-I、Safety-Ⅱの両視点が必要です。 ヒヤリハット報告から出てきた警告は、「重大事故を防ぐために大切なことだ」と予防安全の視点と、「事故に至らずに済んだのは誰(あるいは何)のおかげだろう」とシステムのパフォーマンス全体を高める視点とを両立することが大事なのですよ。

(編集部)Safety-IとSafety-Ⅱ、どちらが正解というわけではなく、両視点を併せ持って組織の安全を守っていくことが大切なのですね。

(上田先生)近年の実例からお話しすると、2024年1月に起きた羽田空港地上衝突事故では、担当者間のコミュニケーションエラーもあったと報道されており(※)、これは1977年に起きた「テネリフェの悲劇」と呼ばれる有名な航空機事故の起因に通じるところがあるかもしれません。かなり過去の事故事例からまだ学ぶべきところがあると考えると、やはりSafety-Iの視点がいかに大切かも理解できると思います。 一方で、同事故ではJAL側は乗務員の誘導で搭乗者全員の脱出に成功しており、この点に関しては今後に提示されるであろう、運輸安全委員会の最終報告書から、Safety-Ⅱの視点による、「なぜ無事に脱出できたのか」という分析を行い、各社員や環境の具体的な成功要因を導き出すのも重要です。 (※)本件については、運輸安全委員会の最終報告書を待つ必要があるため、細かな事故原因について述べることは控えます。

両方の視点を備えていくことで、事故の再発を防ぐだけにとどまらず、システムのパフォーマンス全体を底上げできるのではないでしょうか。すでにさまざまな企業が、従来のSafety-Iの「失敗事例に学ぶ」に加えて、新たにSafety-Ⅱの「成功事例にも学ぶ」概念を取り入れています。 ヒューマンエラーや違反は、私たちが人間の特性を持つ以上、必ず起こるものです。だからこそ、萎縮せずに失敗を受け止め、成功事例に学び、パフォーマンスを上げ続けることが組織の安全を作ります。特に管理職の方々もこの両方の視点を持つことは大切だと思います。

まとめ

ヒューマンエラーは人が意図的に起こすものではないという前提から、防止のためにミスを起こした作業者本人の特性(ヒューマンファクター)を中心にシステム全体を整理していく考え方があることが分かりました。 また、公共交通や建設現場など安全を最重要視する現場をはじめ、健全運営に意識を注ぐ企業や組織の間では、失敗に学ぶSafety-Iと、成功に学ぶSafety-Ⅱの両視点を取り入る姿勢が広まりつつあるのですね。

昨今頻発する激甚災害や導入が進む自動運転、AIとの協働など、人が臨機応変さを求められるシーンが増えている中、ヒューマンエラーとの向き合い方や、安全を守るための人の柔軟性について、社会全体で考える時にきているのだと感じました。

【関連記事】
「老害にはなりたくない」人の社会性のカギは脳の抑制機能? 認知心理学者とメカニズムに迫る
2024.06.28
大塚 結喜

この記事をシェアする!

プロフィール

上田 真由子

上田 真由子 (うえだ まゆこ) 追手門学院大学 経営学部 経営学科 准教授専門:安全工学、認知心理学、ヒューマンファクター

2006年3月 大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程を満期退学。博士(人間科学)。その後、2018年3月まで、西日本旅客鉄道株式会社 安全研究所の発足メンバーとして安全工学の観点から組織を安全に動かす仕組み、方法を研究。大阪大学大学院人間科学研究科 助教、関西学院大学工学部 講師、関西国際大学 心理学部 准教授を経て、2024年4月より現職。

研究略歴・著書・論文等詳しくはこちら

取材などのお問い合わせ先

追手門学院 広報課

電話:072-641-9590

メール:koho@otemon.ac.jp