書籍や絵画、音楽など著作物の創作と同時に発生する権利である「著作権」。創作した人の権利を保護するものとして、今ではデジタルデータも対象となるなど、技術革新に合わせて、著作権の対象範囲や保護期間も大きく変化を遂げています。
特に、最近では人工知能・AIがイラストや音楽を制作する時代になっており、著作権は今後どうなっていくのでしょうか。 今回は、著作権法を研究対象とする志賀典之准教授に、著作権の成り立ちや変遷から最新のトピックスを聞きました。
INDEX
著作権の目的、その注目すべき歴史と現状
著作権の究極の目的は「文化の発展」。問われる2つのバランス
(編集部)まず著作権の概要から、志賀先生の解説とともに確認したいと思います。
(志賀先生)著作権とは、簡単に表現すれば著作物の無断利用を禁止できる権利です。絵画や音楽、文章など著作物の創作と同時に自然に発生する権利であり、著作権を持つ者は、著作権の制限に当たる場合などを除いて、複製やインターネット送信などといった著作物の一定の利用を禁止できるとともに、他人に利用を認める場合には、条件や範囲を指定できます。その範囲や条件を超えて無断で使用すると、著作権侵害の責任を問われるおそれがあります。
(編集部)著作者の保護を目的にできたルールということですね。
(志賀先生)たしかに著作者の利益を守るという側面もあるのですが、それだけではありません。著作権法第一条では、『著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。』とあります。
(編集部)著作権の究極の目的は、文化の発展にあるわけですね。
(志賀先生)そうです。そして『公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り』という点がポイントですね。 ここは簡単なようでいて実はいろいろな読み方ができるところですが、私自身は「人々が創作物を正当に、健全に利用したり楽しんだりする機会の確保と、創作者の権利保護とのバランスを意識して、文化の発展につなげていくことが大切だ」ととらえています。
著作権の歴史はメディアの発展とともに
(編集部)次に著作権の歴史にふれたいと思います。実は著作権の出発点は、今のような形ではなかったとか?
(志賀先生)著作権は、人々の表現手段や技術などの発展とともに法律として発展を遂げてきました。その始まりは15世紀、当時最先端の商業都市イタリアのヴェネツィアで設けられた出版に関する権利に由来しています。時代が進むとともに、文学以外にも美術や音楽といった芸術を保護対象とするようになり、さらに写真や映画、テレビ番組といったメディアが登場するとそれらにも適用の範囲を広げました。
(編集部)著作権の由来となった出版に関する権利とはどういったものだったのですか?
(志賀先生)1450年頃、ドイツのグーテンベルクという人物により西欧世界で最初に活版印刷技術が発明されたと言われています。これによって書物を大量に印刷できるようになりましたが、一つ問題になったのが、今でいう海賊版、つまり無断印刷物の横行です。 当時はギリシア・ローマ時代の古典的文書が多く出版されていたのですが、こういった文書を扱う出版業者は原本との照合、欠け落ちた文字の補正など印刷前に多大な労力をかけていました。ところが、正規ルートを通らない別業者が便乗して廉価版を販売することで、大きな損害が出たのです。
そこで出版業者の利益を守るため、特定の業者に「出版特権」を許可する制度が誕生しました。これが、著作権の由来となった出版に関する権利保護の始まりです。 また当時、王室など権力者に不都合な内容の書物が出版されることもあったため、この出版権は検閲に活用されることもありました。
(編集部)当初は出版業者のための権利という意味合いが強かったんですね。
(志賀先生)出版特権の誕生から200年以上のち、話は18世紀初頭の英国に移ります。当時の英国は17世紀の近代市民革命による激動を経て、国王権力に依拠する特権の効力がなくなっていました。出版業界では再び海賊版が出回ることになったのです。 そこで出版業者たちは出版独占権を正当化するため、今度は特権ではなく「著作者の権利」を前面に打ち出しました。ここでカギになったのが、近代市民革命をもたらしたとされる自然権思想です。
(編集部)人間は生まれながらに「生命・身体・財産」に関する権利を持っている、という考え方ですね。
(志賀先生)そうです。国民の間で浸透しつつあった自然権思想が「出版物の権利は、本来は作品を生み出した作者に属するべきだ」という主張に説得力を持たせたといわれています。 そして1710年、英国で著作者の権利を保障した条例が制定されました。この条例が近代著作権法のルーツとなっています。
(編集部)英国が先進的だったようですが、他の国の状況は?
(志賀先生)英国に続き、フランスなどヨーロッパのいくつかの国で著作権に関する法律が定められましたが、大きな前進となったのが1886年に登場した多国間条約の先駆け、通称「ベルヌ条約」。そしてその成立に尽力したのが、『レ・ミゼラブル』を代表作に持つフランス人作家のヴィクトル・ユーゴーをはじめ、海賊版と戦っていた作家たちです。
なぜ作家たちが立ち上がったかというと、法律は国内でしか効力を持たなかったからです。たとえばフランスで無断複製を禁止しても隣国などで海賊版が販売される。そしてそれがフランスに流れ込む……といった状況が続いていました。
ユーゴーを中心に国際的な著作権ルールの制定を求める運動が広がり、英国・ドイツ・フランス・ベルギーなど10カ国で発足したのがベルヌ条約です。そしてこのベルヌ条約の存在が、日本における著作権法の誕生に大きく関わることになりました。
日本の著作権法とその課題
「Copyright」を「版権」と訳した福沢諭吉
(編集部)それでは、日本での著作権の誕生に迫りましょう。
(志賀先生)日本における著作権法の芽吹きともいえるのが、1869年、図書の出版者を保護する規定として定められた出版条例でしょう。この出版条例が1875年に改正されたとき、「版権」という言葉が導入されるのですが、今でも著作権を指すものとして使われるこの言葉は、福沢諭吉が当時自著の海賊版と闘う中で、Copyrightの訳語として造語したものと伝わっています。
そして1899年に「旧著作権法」が制定されたのですが、実はこの成立は、文化的発展というよりも政治的な理由によるものでした。当時、欧米との不平等条約を解消するため交換条件として提示されたのが、日本のベルヌ条約への加盟。そのために著作権に関する立法が必要だった、というのが本当のところです。
デジタル革命によって急がれる法整備
(編集部)現在の日本の著作権法は1970年に制定されていますが、旧著作権法とはどう違うのですか?
(志賀先生)基本的な枠組みについていえば、旧著作権法がもともとベルヌ条約加盟のために作られたこともあって、同様にベルヌ条約に沿って作られている現在の著作権法でも変わりはないと言えるでしょう。ただ時代の移り変わりとともに技術革新が進み、旧著作権法時代にはなかった表現技術やメディアが登場し、体系的な不十分さが目立つようになりました。そこで、簡単にいえば、古くなった法律を時代に合わせ直したということです。
特に近年はデジタル革命が著しい時代。デジタル化、インターネットの普及にともなって数年ごとに一部改正が行われてきました。1980年頃に権利の保護対象として話題にあがったのがコンピュータプログラム、1990年代から2000年代にはインターネット上の著作物についての法整備が進みました。そして2010年以降に話題の中心となっているのがAIです。日本の著作権法では、2018年にAIを前提とした機械学習などに対応し法改正を実施しました。
こういった流れは先進国に共通するもので、社会の急速なデジタル化とともに各国内の法整備、および著作権関連の国際条約の見直しが急がれています。
(編集部)著作権法は進化して、今やコンピュータプログラムやAI技術なども著作権の対象となっているんですね。
クリエイター本人の権利をいかに保障するか
(編集部)志賀先生から見て、いまの日本の著作権法における課題はどういったところでしょうか。
(志賀先生)クリエイターを保護する観点が不足しているように感じます。これはクリエイター業界や研究者からたびたび指摘されている点でもあります。 特に日本の場合、企業内での創作物については、一定要件を満たせば会社が著作者となる「職務著作」という制度を採用しています。これだとクリエイター本人に利益が還元されにくいケースが出てくる。
(編集部)海外では事情が異なるのでしょうか?
(志賀先生)そうですね。アメリカは日本と同じく職務著作の制度が存在しますが、EU諸国の中でも、ドイツなどにはなく、もちろんEU全体でもそのような制度は共有されていません。たとえば新聞記事について、日本だと新聞社が著作者となり、著作権は新聞社に帰属することが多いでしょう。しかし、ドイツだと記者が著作者で、著作権を持つことになります。これは、ドイツやフランスなどのEUを構成する主要国において「著作者とは生きた人間(自然人)である」という考え方がベースにあるからです。
権利と同時に社会的責任の帰属の問題も発生するので、必ずしもどちらの制度が優れているというわけではないのですが……。少なくとも、著作権法上は著作者ですらない、何者でもないクリエイター本人になんの権利も存在しないため、利益が還元されにくい、というシステムが現在の日本で一般化している点は考慮すべき余地があると考えます。
他にも日本の例を挙げると、文芸作品の映画化にあたって原作を使用許諾する場合や、キャラクターデザインコンペなどでデザイナーがコンテンツ事業者へ著作権を譲渡する場合に、支払われる対価が「最初の定額一括払のみ」となっており、映像化作品やデザインがヒットした場合でも、原作者にほとんど収益が還元されない場合があります。こういった場合、クリエイター保護の観点からの法整備が進んでいるドイツであれば、報酬の見直しが行われたり、追加報酬が支払われることになっています。
国のクールジャパン戦略でコンテンツビジネスを売りだそうとして久しくなりますが、そうであるからこそ、日本はクリエイターの権利・利益の保護にも積極的になってもよいのではないでしょうか。クリエイターを支援するためにも、状況に応じた利益分配の仕組みが必要で、他国を参考に商習慣や法律を改良していく余地があるはずです。
GAFA・サブスク・AI…最新の話題から著作権を考える
デジタル市場を席巻するGAFA。EUで進む規制とは
(編集部)歴史を俯瞰したところで、今度は最近のトピックスから著作権に触れていきたいと思います。先ほどデジタル革命という言葉が出ましたが、最近はあらゆるモノ・コトがデジタル化されつつあります。注目すべき話題はありますか?
(志賀先生)1つは、GAFAに代表されるデジタル・プラットフォーマーへのEUの動きです。近年、店舗での物販はネット通販に、音楽はストリーミング配信に、人々のコミュニケーションはSNSに置き換わってきましたね。この背景にはデジタル・プラットフォーマーが高度な技術で新しいサービスを構築し、その利便性をもって国際的に拡大してきた経緯があります。そしてそれらIT大手に対し、公正競争の観点からの規制を重視してきたのがEUです。2010年代より、世界に先駆けて公正競争の確保、デジタル世界の個人データ保護など法整備と運用を進めてきました。そして2019年4月に著作権に関する新たな包括的ルールが定められました。
(編集部)EUとして包括的なルールを定めたんですね。
(志賀先生)大きなポイントと言えそうな事項としては、3つが挙げられます。 一つめが、報道出版物のバリューギャップ問題への対処です。たとえば「Google ニュース」に掲載される記事について、グーグルは記事コンテンツの利用により利益を得ているにも関わらず、記事の権利者に使用料を支払っていませんでした。ドイツやスペインが国単位で是正を試みたのですが、一国の対応では巨大プラットフォームに太刀打ちできず、結果EU全体で対応を図ることになったのです。
二つめが、オンラインプラットフォーマーの法的地位の確定です。 これはYouTubeなどユーザー発信の場において、著作物が無断アップロードされた場合、場を提供するプラットフォーマーが直接侵害責任を負うというもの。サービスを提供する側がアップロードシステムにフィルターをかけるなど、最大限の努力をしなければならないと規定しています。
そして三つめが、著作者・実演家といったクリエイターが公正な報酬を保障されるよう策定された契約ルールです。先程ドイツの例を紹介しましたが、EU各国でも整備を進めていく枠組みが形成されたわけです。(※)
(編集部)なるほど。IT大手に対しては、もはや一国の対応では巨大プラットフォーマーに太刀打ちできないんですね。
サブスクリプションのコンテンツビジネスに潜む利益分配の影とは?
(編集部)ここ数年で浸透したコンテンツサービスにNetflixやAmazonプライムなどのサブスクリプション、通称「サブスク」があります。これはクリエイターへの利益還元がしっかりしたビジネスモデルなのでしょうか?
(志賀先生)今では動画配信サービスやスマートフォンアプリの年間契約など、さまざまなサブスクリプションが展開されていますね。サブスクが日本で登場したのは2010年代前半でした。しかしこのような、商品を「所有」するのではなく定額料金で「利用」するとも捉えられるビジネスモデルは、例えばエンドユーザー側(消費者側)がコンテンツの利用についてどういった権利をもつのかなど、その法的性質などについても、様々な点が未解明ないしは不透明なまま、サービスが急速に普及してきた印象です。
このビジネスモデルにおける現状の課題は、サービスを提供するメディア事業者次第で「自らが最も有利になるような契約形態を構築できる」という点ではないかと見ています。 クリエイターとメディア事業者、そしてユーザーという三者が存在して初めて実現するビジネスなのに、クリエイターとユーザーは常に「Yes or No」しか選択肢がなく、特にGAFAや動画配信プラットフォーマーばかりが旨味を持っていきやすい構造が指摘されます。まして、デジタル環境では、そういったサービス提供事業者が、提供サービスの技術環境の設計を自在にできてしまうため、なおさらその傾向に拍車がかかっていくといえます。
当事者間で合意すればOKという「契約自由の原則」の考え方は、たしかに、近代社会以降、現代に至るまで多くの修正を加えられつつも、取引の基本原則であり続けています。しかし、著作権の目的である「文化の発展」に鑑みると、ここでも健全な運営が遂行されるよう法整備を進める必要があるのではないでしょうか。特に先程の図に照らしていえば、エンドユーザー(消費者)というのは文化を末端で楽しむだけの存在ではなく、潜在的なクリエイターでもあり、さらに双方向コミュニケーションの容易な現在ますますその傾向が強まっているわけですので、その権利や地位について考察を進めることは、豊かな文化を育む土壌を形成するため重要な課題になると思います。
AI学習によって生まれたコンテンツと著作権
(編集部)日本では先日、イラスト生成AIのサービスが発表されるやいなや炎上するという事案がありました。既存のイラストをAIに学習させることで、描き手の個性が反映されたイラストを自動生成できるというサービスだったのですが、著作物の「不正利用」を懸念する声が多かったようです。AIの学習データとして著作物を利用する、という場合の著作権保護についてどう考えますか。
(志賀先生)当該サービスは即日停止された後、利用資格の限定など、「不正利用」対策のガイドラインを見直すかたちで再リリースされましたが、こういったケースは今後さらなる議論が待たれる事案ですね。
AIについてはいろいろな問題が考えられます。まず、AIが生成したものが著作物かどうか。日本やアメリカでは「AIが完全に自律的に作り出したものは著作物ではない」という認識ですが、この認識自体が国によって見解が分かれるところなんです。ヨーロッパなどでは「AIによる著作物は著作権法の保護対象だ」とみる国もあります。たとえば英国では、AIから生み出された作品の著作権は、AIについて「アレンジメント」を行った人が有することになっています。
そして、質問の事例のように、AIにイラスト素材を学習させることが著作権法に抵触するか否かという入力段階の問題があります。日本では基本的に著作権制限規定である30条の4により、機械学習は自由にできるとされるのですが、この条文の但書では著作権者の利益を不当に害する場合を除くとされており、場合によってはこれに当たるケースも考えられるのではないか。また、入力までは問題ないとしても、次に出力段階で、生成したイラストを出力した時点で著作権侵害の可能性はないのか、といったところもまだまだ議論の最中にあるので、注目しているところです。
(志賀先生)ちなみに、人間以外が作り出した創作物という視点から、動物が生み出した創作物の著作権の扱いについて、以前、話題になったことがあります。
発端は2011年、英国の自然写真家が撮影に出た現場で、わざと野生のサルがシャッターボタンを触れるようにカメラを置いたことでした。狙い通りサルはシャッターを何度も押し、いくつかのユニークな写真が撮影されました。カメラマンは自らに著作権があると考え、写真を自身の作品として発表していたのですが、2015年にアメリカの動物愛護団体が「サルに代わって著作権を主張する」という裁判を起こしたのです。
結果として裁判は「動物に著作権法の保護は及ばない」と写真家が勝訴し、動物愛護団体側が控訴したものの最終的には写真家が写真の売上の25%をサルの保護のために寄付するという条件での和解に至ったのですが、最先端技術のAIと野生のサルの間に「人間以外の活動成果」という思いがけない共通項目が出現して、研究者の中でも話題になりました。
(編集部)AIとサルの問題が同時期に起こったとは、著作権の話題がおよぶ範囲って本当に広いんですね。
(志賀先生)そうですね。ここまで見てきたように、著作権法は、印刷技術から始まり、音楽や美術、続いて写真、映画、プログラムも取り込むことで、どんどん適用範囲は広くなっていると言えるでしょう。そして、現在に至って、デジタルデータが普及し、情報がすさまじいスピードで拡散する時代、AIなどの技術革新も進む中で、著作権法もまた新たな転換点を迎えている、とはいえます。
しかし、技術の発展とともに、それにどう対応すべきか、さまざまな議論が巻き起こり、それを知恵を絞って乗り越えてきた、という営みは、昔も今も共通しているといえます。すると、現代の難問を説く様々なヒントが過去の事例の中には豊富にあるのではないでしょうか。そうであるからこそ、著作権法のシステムや、特に、その歴史を学び研究する意義があると思いますし、そのようにして過去の議論から学び、現在に活かすということは、まさに知的な刺激に満ちた活動であると思います。
まとめ
AIなど日進月歩で進化する技術を背景に、新たな議論の対象が増えているということに驚きでした。技術も身近になり、個人でも様々なツールを利用して創作物を作ることができる時代にある中で、「創作者側と利用者側とのバランスを保ちながら、文化の発展につながることを考える必要がある」という今回の話から、私たち誰もが関係のあるものなのだと実感しました。
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