少子高齢化や人口減少といった問題に直面する中、総務省の統計によると、2018年時点で日本の空き家は約846万戸にのぼり、総住宅数に占める割合は13.6% (※) 。およそ7戸に1戸が空き家という状態で、その維持管理が問題となることも少なくないようです。 そうした中、近年注目されつつあるのが空き家や古い建物を活用するリノベーションです。設備や空間をより良く作り替えることで、中古物件の資産価値を高める効果も期待できるといわれます。
今回は、個人住宅から大型商業施設まで新築・リノベーションあわせて200軒以上の建築を手がけてきた建築家で、日本でリノベーションという言葉が使われ出す前の1999年にリノベーション作品を発表していた追手門学院大学 文学部美学・建築文化専攻の納谷 新教授に、これからの日本における建築の在り方やリノベーションの可能性について聞きました。
近年注目を集めるリノベーション物件。その人気の理由とは
【編集部まとめ】高まるリノベーション人気と、いまだ根強い「新築信仰」
(編集部)まずは近年における日本の住宅事情について、編集部でまとめました。 総務省が発表した2018年の調査で、日本の不動産市場における中古住宅(既存住宅)の割合は全体の約14.5%。持ち家を購入する際に「新築」、または古い建物を壊して新しく住宅を建てる「建て替え」を選ぶ人の合計が70%ほどと圧倒的に多く、日本では新築信仰が強くあるようです。(※)
一方、2016年には住生活基本法に基づいた「住生活基本計画(全国計画)」が発表され、その目標には、中古住宅流通・リフォーム市場の拡大を目指すべく、新たな住宅循環システムの仕組みづくりが盛り込まれています。 以来、国土交通省が所管する「UR都市機構」でも積極的にリノベーション賃貸物件を扱うなど、国内の不動産市場で住宅ストックを活用する動きが見られるようになりました。
ここでリフォームとリノベーションの違いに言及しておくと、明確な定義はないものの、一般的に「リフォーム」は老朽化した建築物や設備をきれいな状態に戻すことを指し、「リノベーション」は既存の建築物に工事を加え、作り替えてその価値を高めることを指します。 リノベーション物件は新築住宅と比べて工事費が安く抑えられるにも関わらず、新築同様のきれいな状態が完成します。入居者にとっては住宅購入費や賃貸料の安さがメリットとなり、その価値が徐々に注目を集めています。
「古い家は建て替えて当然」という日本の常識に投じた一石
(編集部)納谷先生がリノベーション建築の初作「s-tube」を発表したのが1999年。当時はまだ日本でリノベーションという言葉も概念も浸透しておらず、スクラップ・アンド・ビルドが当たり前の時代だったとか。なぜ既存の建物を改造しようと考えたのですか?
(納谷先生)出発はすごく単純で「もったいない」と感じたんです。 手を加えればまだまだ使える建物、しかも元の構造を生かしつつ自由に設計だってできる。 もちろん新築に比べて制約があり難しい点も多かったのですが、それ以上に「すでにあるものを生かすこと」に可能性を感じました。 もともとプラモデルやオートバイを自分好みに改造するのが好きで、それと同じような感覚でしたね。(笑)
(編集部)「s-tube」は業界内で高く評価され、さまざまなメディアで取り上げられて納谷先生の名が世に広まりました。
(納谷先生)当時は新築・建替が当たり前の時代でしたから、注目されること自体が予想外。高い評価をいただいたことに本当に驚きました。 デザインもそうですが、「古い建物に新しい価値を与える」という考え方を評価してもらえたと受け取っています。多くの人々に建築の在り方を考えるきっかけを与えられたのかな、と。
(編集部)リノベーションという言葉を使うようになったのは作品の発表後だったとか?
(納谷先生)とあるアワードで「s-tube」が最優秀賞を受賞した時です。審査員を務めておられた建築業界の名匠から「君はリノベーションのスターになれ」と言っていただきました。 それまで「リフォーム」や「改装」という言葉がしっくりこず、自分では『改造建築』と呼んでいたのですが、そこからリノベーションと表現するようになりました。 現在ではリノベーションという言葉もすっかり世間に浸透していますね。
(編集部)納谷先生はリノベーションだけでなく新築でも多くの物件を手がけられ、直近では、設計を担当した阪神高速・尼崎パーキングエリアが2022年度グッドデザイン賞の『グッドデザイン・ベスト100』に選出されるなど、第一線で活躍を続けています。 次の章では、リノベーション物件の中から代表的な作品をピックアップし、解説とともにリノベーションの魅力について伺います。
建築家・納谷新が手掛けてきたリノベーション建築の魅力に迫る
広がる屋根――住まいを見つめ直し、豊かな暮らしを描ける家に(2019年・神奈川県横浜市)
(編集部)こちらはYKK AP株式会社が実施した「戸建住宅性能向上リノベーション実証プロジェクト」のうちの一戸ということで、個人向け住宅のリノベーションですね。
(納谷先生)株式会社リビタと協働して制作しました。古い住まいは住みにくい、というマイナスの価値観から脱却すべくリノベーションを施すというプロジェクトでした。
(編集部)せり出す屋根の形、しかも一面芝生というのが印象的です。
(納谷先生)この家は見晴らしの良い立地で、景観が素晴らしい一方、西陽がかなりきつく差し込む構造でした。強い西日のせいでカーテンを引いたままの生活だったならもったいない、その思いから西側の屋根を引き伸ばし、屋根の上には芝生を敷きました。 台形に広がった屋根は西日を遮るだけでなく、屋根の下の庭は雨でも濡れない空間となり、また芝生を敷いた屋根は新たな庭になる。さらに、芝生を敷いたことで、古い住宅で問題になりがちな断熱性能の向上にも寄与しています。
結果として特徴的な外観になったのですが、すべて快適性や過ごす人の時間を考えてのこと。間取りも、1階を区切りのないワンフロアにすることで、住む人しだいで空間を自由に使えるようにしました。
(編集部)この「広がる屋根」は「屋根のある作品コンテスト2019」で雨のみちデザイン賞を受賞し、プロジェクト全体では「リノベーション・オブ・ザ・イヤー2019」無差別級部門で最優秀作品賞を受賞したということですが、この特徴的なデザインは、あくまで快適性を考えた先に出てきたものなんですね。
12SHINJUKU3CHOME――ワーク&ライフが融合するシェアオフィス(2021年・東京都新宿区)
(編集部)こちらは東京で2021年にオープンしたシェアオフィスということですが、かなり大きなフロアですね。
(納谷先生)フロアは650平米以上、オフィスビルや大手百貨店が並ぶ東京の真ん中、新宿三丁目駅直結のビル内にあります。以前は飲食店が入っていたのですがコロナ禍で撤退。 その後、株式会社リビタがシェアオフィス事業をプロデュースし、私が設計を担当しました。
(編集部)不思議な間取り図ですね。四角い部屋がランダムな方向を向いています。
(納谷先生)各部屋がオフィススペースになっていますが、まっすぐ並べると単調でおもしろくないので、角度をつけて配置しました。それによって生まれるのが、図面で緑色になっている「にわ」と呼ぶ三角形の空間です。この「にわ」が「12SHINJUKU3CHOME」の特徴で、各オフィスにゆとりをもたらすスペースになりました。 また、フロアには共有のキッチンやリビングなど住まいとしての機能も備え、入居者同士の交流が生まれることを期待しています。シェアオフィス全体が一つの街のようなコミュニティとして交流が生まれるようにと設計しました。 この施設は、契約者がオフィスを使わない時間、外部に貸し出せる「マガリ」という仕組みも採用していて、オフィスの新しい在り方を提案しているおもしろい物件です。
(編集部)コロナ禍を経たからこそ誕生した、時代にマッチしたリノベーション物件ですね。
OF HOTEL――新たなライフスタイルホテル(2022年・宮城県仙台市)
(編集部)OF HOTEL(オブホテル)は2022年の夏に開業したばかりのホテルだそうですね。
(納谷先生)築47年のビジネスホテルを丸ごとリノベーションしました。教え子の島田明生子を迎え、立ち上げた設計事務所「/360°」で意匠設計を担当し、地域にゆかりのあるクリエイターたちと一緒にプロジェクトを進めました。
(編集部)どういったコンセプトのホテルなんですか?
(納谷先生)東北の新しい魅力に出会えるホテル、そして地元の人々の「日常」と宿泊者の「非日常」が交差するホテルです。このホテルは全55室あり、デザインのプレゼン時に伝えたのが「ホテル全体を55LDKとしてイメージする」ということでした。
客室の居心地の良さはもちろんマストなので、東北の無垢素材を取り入れながら、下地をはがしコンクリートの躯体をむき出しにする「引き算」の手法と、塗装などをできる限りおさえた最小限の「足し算」で、なるべくニュートラルなデザインで快適な空間を創り上げました。
一方で、ただ泊まるだけの施設というのでなく、もっとクリエイティブな時間を過ごす場所にしたい。観光目的でもビジネス利用でも、ホテル内を気軽に散策し、くまなく楽しめるような“出会いのある場”にしたかったんです。そこで、館内ではデジタルアート作品が楽しめる空間演出を取り入れ、東北の食材を扱うバーやカフェも設けています。また、あえて1階や2階の床部分を減らし、街並みに融合するようエントランスを設計したり、宿泊者以外も入れる共用スペースでも、イベントなどが開催できるようにしました。
(編集部)たしかに、旅先でホテルにチェックインした後は、わりと部屋にこもりがちです。そういった仕掛けがあると滞在時間がもっと楽しくなりそうですね。
(納谷先生)オープン以来かなり盛況のようですし、ホテル主催のイベントでは宿泊者も地元の人も多く参加していると聞いて、すごくうれしいです。
ソフト面から考える建築。リノベーションは空き家問題の特効薬となるか?
ポイントは、建物の価値をどう高めるか
(編集部)3つの作品を納谷先生の解説とともに紹介しましたが、リノベーションを手がける上で先生が大切にしていることは何ですか?
(納谷先生)建物の価値をどのように高めるかです。「建物=ハード面」を更新するには、「暮らす人々=ソフト面」の情報もアップデートする必要がある。そのためには一般論ではなく、住まう人のライフスタイルや目的に寄り添うことが重要です。 たとえば築100年の民家を改装する際に、畳敷きを残すのかフローリングにするのか。ここで現代の主流に合わせるならフローリングが有力のように思えますが、その選択は必ずしも正解ではない。当然ですが畳敷きが好きな人もいますよね。
この家に入居する人、この場所を利用する人はどういった方なのか。どういった人々の営みを期待するのか。機能とデザインを住まう人の目的にあわせていくことが重要で、それは建物の在り方から見つめ直すことに他ならず、リノベーション(革新・修復)以前にコンバージョン(用途の転換)を検討し尽くしてこそ実現しうるものです。
(編集部)社会では「多様化」がキーワードになっていますが、人々の暮らしにおいてもさまざまな価値観が出てきていますね。
(納谷先生)まさに今、豊かさに対する人々の価値観が変わってきていると感じます。 東日本大震災で「新しい建物、近代的な都市こそ強い」という幻想は崩れ、コロナ禍による働き方の変化で「都会住まいの優位性」は消えつつある。特にリモートワークが普及する中では、地方移住や地方の魅力発信が話題になったりもしていますよね。 こういった価値観の変化の中、肌感ですが、自然に対抗するように新しい建造物を続々と築くことに世間が違和感を抱き始めているのではないかと感じています。そしてその流れから必然的に、各地の空き家が注目され始めているのではないでしょうか。
これは新築とリノベーションのどちらが良いといった話ではありません。どちらにも魅力がある。その上で、これまでマイナーだったリノベーションに光が当たると、自由な選択が広がると思います。
減築という決断の背景にあるのは、「引き算」の美学
(編集部)先ほど挙げた「OF HOTEL」の設計では、床面積を減らし減築したというお話が出ました。広さばかりを追求するのではない、これもまた建物の価値の高め方なのでしょうか。
(納谷先生)家や施設が機能を満たすことは簡単で、その先に新しい可能性を創造するのがデザインだと私は考えます。
以前、福岡県で行った講演会で参加者から「この街に足りないものは?」と聞かれ、「足すのではなく、引くことが必要ではないか」と回答したことがあります。 スタジアムや商業施設など、ハードを次々と作り集客する時代は終わりました。使われなくなった施設は各地で「負の遺産」となっていますし、ものがあふれる今だからこそ、足し算ではなく引き算で生まれる豊かさもあるのではないでしょうか。
たとえばビルの跡地に新たなビルを建てるのではなく、緑地公園や交流スペースを設ければ、地域に住まう人々の暮らしを鮮やかにすることもできるでしょう。建物の再活用も同様で、壁や床を抜いて建築面積を減築する、つまり引き算することで吹き抜けや憩いの場など新たな空間が作れるのです。
人々に寄り添う建築を創るには「本当の線」を引けること
(編集部)納谷先生は今年度から追大の教員として着任されましたが、学生にはどういった学びを指導しているのですか?
(納谷先生)文学部 美学・建築文化専攻は、日本古来の建築技術・様式美から現代の先進的な空間デザイン、最先端の建築まで幅広く考察する文理融合の新たな学びのコースです。 学生には図面やデザインの指導を行いますが、「図面に引くのは本当の線であるべきだ」と伝えています。どこかで習ったような見た目にかっこいい線ではなく、考え抜いた先にあるオリジナルの線。逆説的ですが、その線は自ずと洗練された線になるものなんです。
そういったクリエイティブにたどり着いてもらうために、今後、関西エリアの地方都市で空き家を再活用するフィールドワーク型の研究を予定しています。同じ文学部人文学科で現代建築を専門に持つ青島啓太准教授、そして学部を超えた先生方とも、さまざまな角度から建築のハード面、ソフト面を見つめ、現場にふれることで体感的に学んでもらえるような授業を企画しています
まとめ
まだまだ「新築=良い住宅」という考えが主流の日本において、創意工夫しだいでより豊かな暮らしを生み出せるのがリノベーションなのだと理解できました。 そして納谷先生のお話を聞いていると、理想の住まいや環境を考えることは、人生の豊かさを考えることに繋がるのだと実感。リノベーションという選択肢がもっと広がれば、人々が新しい価値観に出会える契機ともなりそうです。
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