日本には国民的アニメ『ドラえもん』のドラえもんをはじめ、手塚治虫の『鉄腕アトム』のアトム、鳥山明の『Dr.スランプ』の則巻アラレなど、ロボットと人間の交流を描いた、ロボットが主人公の物語が数多くあります。
近年、人工知能(AI)の技術革新によって、私たちの暮らしでもAIを搭載したロボットを目にする機会が増えてきました。中には人間とのふれ合いを前提に開発されたロボットもあり、感情を認識する人型ロボット「Pepper」、人の顔や空間を学習するペット型ロボット「aibo」「LOVOT」などがその例です。 これらの存在を見ると、ドラえもんとのび太のような日常が身近なものになりつつあるといっても過言ではありません。今やアニマルセラピーならぬロボットセラピーも普及を始め、その可能性は広がりを見せています。
ここで、ある疑問が湧いてきます。私たちはロボットをともだちのように受け入れることに、特に疑問を抱きません。それはなぜでしょうか?
実はロボットに対して親近感を持つのは日本特有のもので、世界、特に欧米諸国から見ると特異なことだそうです。 今回は、物語に描かれたロボットと人間との関係に着目し、ロボットの活躍が心理支援領域へと拡大する現状について考えます。カウンセラーでもあり、臨床と理論の両面からロボットセラピーを研究する河嶋 珠実心理学部特任助教の解説です。
INDEX
ドラえもん・アトムに見る、人とロボットの関わり
完全無欠ではない。だからこそ面白い?
(編集部)『ドラえもん』や『鉄腕アトム』などの作品は、日本では老若男女を問わず高い人気をほこります。ロボットそのものが身近な存在として受け入れられてきたのかなという気がします。
(河嶋先生)『ドラえもん』や『鉄腕アトム』は、自ら考え能動的に動ける「自律型ロボット」と呼ばれるものです。人間との交流を描き、国民的人気作品ですね。
ロボットといえば、人間を凌駕する高い能力を持つイメージがありますが、ドラえもんはのび太を助けてくれる友達のような存在でありながら、どこか抜けていてネズミが苦手という弱点があります。またアトムは正義感が強く困っている人に手を差し伸べる優しい心を持ちながら、時にロボットである自分に苦悩するシーンも描かれます。 ロボットなのに、有能なだけでなく人間っぽさを感じる弱さがある。そこに物語としての面白さ、奥深さを感じる人が多いのだと思います。
(編集部)「ロボット=万能」という設定でもよいところを、あえて弱点があったり葛藤を抱えたりする存在として描く。人間味あるエピソードに惹かれるということですね。
(河嶋先生)昔から今に至るまで、日本のサブカルチャーとして広く受け入れられてきたロボット作品には、人とロボットが心理的交流を築くストーリーや、友情関係や共存関係をベースにした作品が非常に多いのが特徴的です。海外ではあまり見られない傾向です。特に『ドラえもん』は東アジア、東南アジアを中心に海外でも非常に人気が高く、日本ならではの物語のカタチとして評価を受けている印象です。
こういった作品が生まれるのは、ロボットという存在に親近感を持っているからこそでしょう。この「ロボットに親しみを覚える」という感情は、作品と同じく世界的に見ても日本特有のものなんです。
古今東西、物語における人とロボットの関係
異なるロボット観。そのルーツはオートマタと宗教観?
(編集部)ロボットに対して親近感を抱くことが日本特有とは驚きです。他の文化圏とのどういった違いからくるものなのでしょう?
(河嶋先生)ロボットに焦点を当てる前に、まずは「人間ならざるもの」に対する意識の比較からお話ししましょう。 私は以前、西洋のからくり人形(オートマタ)と日本のからくり人形を題材に、西洋・東洋の比較研究を行いました。日本のからくり人形は江戸時代ににぎわいを見せた『茶運び人形』や『弓曳童子(ゆみひきどうじ)』などが有名です。子どもの風貌を模したものが多く、人形に「愛嬌のある動き、可愛らしい雰囲気」を求めていたことが読み取れます。
一方、18~19世紀に栄えた西洋のオートマタですが、こちらは一時「人らしい見た目」にこだわった流れが確認できています。なぜリアルな造型にこだわったのかは諸説ありますが、職人たちが自らの技術を誇示するためだったのではないかと考えられます。 ただ、民衆は受け入れませんでした。その背景にあったと考えられるのが、キリスト教の宗教観です。今よりも宗教が市民生活や価値観に大きな影響を及ぼしていた時代。「人間のようなものを人間が作るのは神への冒涜だ」「人ではないのに人の真似をしているようで不気味」という反応が大きかったようです。
「ロボットとは人間に逆らうもの」という根強いイメージ
(編集部)なるほど。まずは宗教観でしたか。その上で西洋ではロボットに対してどういったイメージが一般的なのでしょうか。
(河嶋先生)欧米で一般的なイメージと言えば、「人間に反逆する存在」というものです。その始まりといわれているのが、チェコの国民的作家・カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲『R.U.R.』。「ロボット」という名称もこの作品で創り出されたもので、由来は強制労働を意味するチェコ語「robota(ロボタ)」です。戯曲のストーリーは、労働力として酷使されていたロボットが人間に反乱を起こすというものでした。
そしてこの作品がヒットして以降、欧米、特にアメリカの文学・映像作品で「ロボット=反逆者」という設定がキャッチーな要素の一つとして定着しています。 有名どころから挙げると、映画『ターミネーター』や『マトリックス』は欧米のロボット観が反映された典型的な作品と言えます。 今でこそ文化の違いによるロボット観はボーダーレス化し、欧米でも人とロボットが共生している作品もありますが、日本のように人間と対等な存在として描かれる作品はごくわずかです。
(編集部)『ターミネーター』は人類vs機械を描いていますし、『マトリックス』はコンピューターが人間を支配する世界の物語です。日本のロボット観に照らし合わせてみると、まるで対照的に感じます。
(河嶋先生)現実世界での生活や経済活動におけるロボットへの扱いはさておき、こと作品の世界では、日本だと「共生・共感」がキーワードになる一方、欧米では相容れない存在として「対立・主従関係」がキーワードになる傾向は確かです。
(編集部)そういった違いを意識して作品を観ると、新たな面白さを発見できそうです。
ロボットに感じる「共感」「親近感」はどこから来る?
日本ではロボットに感情移入する人が多い?!その理由とは
(編集部)日本人のロボットに対する親近感は、心理学的にはどのように分析していますか?
(河嶋先生)冒頭でドラえもんやアトムには弱点があり、だからこそ面白さを感じる人が多いという話をしました。 私たちはロボットを「自分と同じ、何かが欠けている仲間」として受け止め、自分に近い存在として感情移入しているのではないでしょうか。そこには共感性だけでなく、心理学における「投影」という概念が関係していると考えられます。
(編集部)心理学における投影とは?
(河嶋先生)精神科医ジークムント・フロイトが確立した精神分析という概念に含まれ、自分が心の内に抱いている心理的な要素を、自分ではなく他の人が持っていると捉えようとすることを指します。 たとえば「あの人が嫌い」とネガティブな心理的要素を抱いたときに、その感情にまつわる不快感を避けるために「私はあの人から嫌われているようだ」と相手の存在に反映させることで、心理的負担を和らげようとする。こういった心の働きのことです。
私たちは本当は、自分が弱い存在であるということを知っています。弱いから助けてほしいし、ケアしてほしい。ですが、ありのままを認めるには自分の弱さと向き合わなくてはならず、それってとても難しいんですよね。 孤独感や孤立感、満たされなさといったコンプレックスを、不完全な存在のロボットというキャラクターに投影する。欠落や弱点のある対象を見て、無意識的に「この子を助けたい」とう思いに繋がることが、感情移入に通じると考えられます。
また、人とロボットの共生の物語では、キャラクターそれぞれが「だめな自分」「欠落感」「苦しい」という感覚を持ちながら、互いに歩み寄ることで関係性が変化する様子が描かれます。だめな者同士が支え合って生きていく姿にこそ、私たちは感動や共感を覚えるのではないでしょうか。
ロボットセラピーから考える心理援助の可能性
日本発のロボットが活躍するセラピーの現場
(編集部)日本人のロボット観は介護福祉の現場でも応用されていると聞きました。
(河嶋先生)はい。ロボットセラピーですね。日本で考案され、ロボットと患者、または高齢者がふれ合うことで治療的作用を期待するものです。もとはアニマルセラピーの代替的方法として考案されました。アニマルセラピーは動物を扱うため衛生面やコスト面で難しさがあり、それらを解決する方法としてロボットが用いられるようになった経緯があります。今や、世界各国に日本のロボットを使ったロボットセラピーが広がっていますよ。
ロボットセラピーの主な対象者は認知症患者や自閉症児童。用いるロボットはAI搭載を搭載していて、名前を呼び続けられると“自分の名前”として認識したり、鳴き声や動きで反応を示したりします。 治療メカニズムこそ解明途上ですが、ロボットと関わる前後でストレス数値が下がるなど、さまざまな実証実験に基づいた治療効果のデータが蓄積されています。
臨床で目の当たりにする、明らかなセラピー効果
(編集部)河嶋先生は介護施設など臨床現場での調査研究もしているということですが、自身としてはどういった効果を目にしていますか?
(河嶋先生)介護施設や緩和ケア病棟のロボットセラピーでよく使用するのは、アザラシ型のロボット「PARO」です。 そういった施設にいる方々は、社会的コミュニケーションが疎くなりがちなのですが、PAROに手を伸ばしたり、言葉をかけたりして能動的に動く姿を目にしてきました。 たとえば認知症が進んで動けなくなった患者がPAROを見て頭をなでたり、感情のコントロールが難しくなった人が、PAROと関わるときだけは穏やかな笑顔になったり、ということもありました。
こういったケースは偶然ではなく、ロボットセラピーの現場ではよく見られる光景です。そのメカニズムはまだ研究途上ですが「心の中で何かすごいことが起きている」というのが実感です。
(編集部)なぜそういった効果が生まれるのか、どのように考察していますか?
(河嶋先生)一つは、自分よりも弱い存在であるロボットに対して、どこかしら「守らなければ」と思う刺激が働くのではないかと見ています。 また、先ほどの投影の話にも繋がるのですが、人として当たり前の「ケアされたい・守ってほしい」という思いを、ロボットに投影している可能性も考えられます。
ロボットと共に未来へ。これからの心理援助の可能性
(編集部)コロナ禍では、オンラインカウンセリングが新たなカウンセリングの形として広がりを見せました。心理援助へのさまざまなニーズがある中、ロボットセラピーも今後普及していきそうでしょうか?
(河嶋先生)介護福祉の現場では効果を実感している専門家が多く、もちろん私もその一人です。セラピーの一つの方法として大きな意義があると考えています。 ただ、臨床心理学ではまだまだ注目度は低いといわざるを得ません。今後、専門家や研究者の中に理解する人を研究する人が増えれば、もっと広まっていくでしょう。臨床心理士・公認心理師の中で、ロボットセラピーへの学術的な注目度が上がることを期待しています。
もちろん、セラピーを全てロボットに変えてしまえば良いという話ではありません。たとえば引きこもりなど、外との関わりや人とのコミュニケーションがしんどい方は一定数います。その時に、人ではないロボットの存在がポジティブな刺激になったり、苦しみをケアしたりする一つの切り札になり得ると思います。 「ロボットならではの役割」が確立されていけば、それこそロボットとの共存が可能になるでしょう。現場でいろんなケースを見ているからこそ、強い可能性を感じます。
(編集部)介護福祉の世界以外でも、近年ではペット型ロボットなどが普及しつつあります。日本のロボット観がアニメや漫画を通じて世界に広がり、それがロボットへの親近感を高め、活用領域を増やすことにもつながる。そういった可能性もあるように思います。
(河嶋先生)これまでロボットといえば、労働力や計算などとにかく高性能なものの開発が多かったのですが、現在開発が進んでいる中には「癒しを与えるためのロボット」「ある種の弱さを持つロボット」が数多く存在します。
利便性をもたらしてくれるわけではなく、けれど私たちの心に寄り添う存在。そういったロボットに広くニーズがあるということでしょう。またそうした役割をロボットに求めるのは、日本特有のロボット観の普及がないともいえません。 テクノロジーが発展し、バーチャルリアリティ(VR)などもなじみ深い存在になりつつある今、ロボットとのふれ合いによる心の癒しもあたり前になる時代が来るかもしれません。
まとめ
河嶋先生の話を聞き、幼少時から繰り返し観てきた「ドラえもん」について改めて思い返してみました。だめな部分がある者同士が寄り添い、楽しく暮らす物語は、時に笑いを、時に涙を誘うものです。そんな人とロボットがともだち感覚で付き合っていく物語の描かれ方は、日本独自のものだと知り驚きました。
また、私たちの中にある「ロボットへの親近感」がロボットセラピーの現場でも見られること、そういった実績からロボットセラピーも広がりをみせていることがわかりました。 だとすると、日本発の自律型ロボットアニメ文化が世界により浸透していくことは、ロボットセラピーのさらなる世界的普及に一役買うともいえるかもしれません。
今回、アニメと心理療法との意外な接点に気づかされたわけですが、これを強みと捉えると、日本はロボットセラピー先進国になれる可能性すらあります。ロボットセラピーの治療効果に関する知見の蓄積が少ないだけに、今後の研究に期待がかかります。
【関連記事】