NHK朝ドラ「おちょやん」が描く上方芸能と道頓堀。30年取材し続けた研究者が語るその深さとは

広瀬 依子

広瀬 依子 (ひろせ よりこ) 追手門学院大学 国際教養学部 国際日本学科 講師

NHK朝ドラ「おちょやん」が描く上方芸能と道頓堀。30年取材し続けた研究者が語るその深さとは
(出典:NHK連続テレビ小説『おちょやん』公式Twitter https://twitter.com/asadora_bk_nhk/header_photo)

現在放送中のNHK連続テレビ小説「おちょやん」で描かれる、大正から昭和の大阪・ミナミ。その中心として栄えた道頓堀は、当時芝居小屋が立ちならぶ「日本のブロードウェイ」と呼ばれ、上方芸能の中心地として栄えたそうです。

今回は「おちょやん」の主人公のモデルとされる昭和の大女優・浪花千栄子と道頓堀を中心に上方芸能の成り立ちや知られざる一面を、雑誌「上方芸能」元編集長で約30年間上方芸能を取材し続けた、上方文化笑学センター長で国際教養学部講師の広瀬依子先生の案内で紐解きます。

NHK連続テレビ小説『おちょやん』公式サイト https://www.nhk.or.jp/ochoyan/

NHK朝ドラ「おちょやん」が描く道頓堀と上方芸能

オロナインヒストリー/大塚製薬 
(出典:【公式】オロナインヒストリー/大塚製薬 
https://www.otsuka.co.jp/ohn/history/)

NHK朝ドラ「おちょやん」振り返り

(編集部)昭和の喜劇女優、浪花千栄子をモデルに描いた連続テレビ小説「おちょやん」も佳境ですね?

(広瀬先生)NHK連続テレビ小説「おちょやん」は大正から昭和、そして戦後から高度経済成長期へと日本が復興していく激動の時代を強く生きた、昭和の大女優・浪花千栄子をモデルとした物語です。奉公に出た道頓堀の芝居茶屋で喜劇などの演劇や演芸と出会い、女優となる夢をかなえていくストーリーです。ドラマでは当時の道頓堀の雰囲気を再現し、芸に打ち込む「おちょやん」とそれを取り巻く人たちを描いています。現役の歌舞伎俳優や喜劇俳優、演芸人等が出演しているのも魅力の一つです。

上方芸能ってなに? 日本の芸能は関西から

(編集部)そもそも上方芸能とはどのようなものでしょうか?

(広瀬先生)上方芸能の“上方”とは現在の関西、近畿圏一円を指す言葉で、この地で生まれ発展し、根付いている芸能のことを指します。

具体的にはまず室町時代に大成した能・狂言は関西発祥です。時の将軍の庇護を受け発展していき、現代へとつながっています。歌舞伎は江戸時代に京都で、文楽も同じく江戸時代に大阪で生まれました。もともと関西には長い間、都がおかれていました。そのような地域では様々な文化や芸能が生まれます。今でこそ古典芸能(伝統芸能)と言われていますが、これらは当時、最新の芸能。新しいものや面白いものを受け入れて積極的に応援しよう、という気質・風土が関西、特に大阪にはあったことも、たくさんの上方芸能が生まれ発展した背景の一つでしょう。

参考:日本の伝統芸能 https://www.geidankyo.or.jp/12kaden/entertainments/index.html

日本のブロードウェイ、道頓堀で誕生した喜劇

大正~昭和初期の道頓堀中座前
(出典:道頓堀商店会オフィシャルサイト道頓堀写真館「大正~昭和初期の道頓堀中座前。」http://www.dotonbori.or.jp/ja/photo/index.html)

エンターテイメントの中心地、当時の道頓堀の様子

(編集部)「おちょやん」でも描かれている当時の道頓堀はどんな様子だったんですか。

(広瀬先生)江戸時代はじめ、町人が多く商売の街だった大阪・ミナミに地域開発の一環で道頓堀川が切り開かれました。沿岸には多くの芝居小屋(劇場)が立ち並ぶようになり、エンターテイメントの中心としての原形ができました。

その繁栄ぶりは「江戸三座・道頓堀五座」と称され、「弁天座・朝日座・角座・中座・竹本座(浪花座)」の五座は、演劇・演芸界を代表する劇場でした。そして周囲には中小の芝居小屋が軒を連ねました。

明治時代になると、道頓堀と隣接する千日前が開発されます。千日前にはそれまで墓地と処刑場しかなかったのですが、大道芸や手品などを見せる小屋や劇場が立ち並ぶようになりました。道頓堀から千日前へと人の回遊が生まれ、その辺り一帯が「芸どころ」として益々発展していきました。

道頓堀の華やかで賑やかな様子は、アメリカのブロードウェイになぞらえられたほどです。多くの芸を志す人々にとって、道頓堀は憧れの地だったんです。

芝居小屋は単なる娯楽にとどまらない文化形成の場

(編集部)芝居小屋や芝居茶屋はどのようなところだったのでしょうか?

(広瀬先生)「おちょやん」でも描かれていたように、奉公人がお使いの間にちょっとだけ芝居をのぞき見るということもありました。一方、比較的ゆとりのある人が観劇時に利用したのが芝居茶屋です。芝居茶屋は観劇券や食事等を手配したり、休憩、食事、着替えなどの場所を提供する施設でした。特に歌舞伎は長丁場なので、観客は朝から晩まで1日がかりで楽しみます。そこで芝居茶屋で観劇の合間に食事をとったり着替えたりして、多くの人々が交流するサロンのような存在になっていたと考えられます。

歌舞伎の桟敷席(さじきせき)では、お見合いのようなことも行われていたという話を聞いたことがあります。単なる「娯楽」にとどまらず、様々な「文化」的活動の場として劇場が機能していたと言えるのではないでしょうか。

「おちょやん」のモデルとなった浪花千栄子の奉公先がもし道頓堀でなかったら、芸能の世界に進むことはなかったかもしれません。道頓堀界隈は、芸能だけでなく文化そのものが生まれていく拠点だったのです。

歌舞伎の世界から飛び出した笑いと人情の「喜劇」

(編集部)ドラマの「おちょやん」では「喜劇」がキーワードの一つですが、道頓堀と喜劇との関係はどのようなものでしょうか?

(広瀬先生)上方喜劇は、もともと歌舞伎の大部屋俳優(脇役)だった曾我廼家五郎(そがのや・ごろう)と曾我廼家十郎(そがのや・じゅうろう)が源です。二人は笑いに着目し、明治37年に道頓堀の浪花座で日本初の喜劇を上演しました。時代の変化を敏感に捉えた人情味あふれる喜劇は、庶民のあいだで大人気になります。やがてその芸の系譜は、今もある松竹新喜劇へと受け継がれていきます。

喜劇が上方芸能の一角へと発展

(編集部)喜劇が上方芸能の一角へと発展していった背景はどこにあるのでしょうか?

(広瀬先生)東京にも喜劇はありますが、上方の方が盛んで、人々からもより受け入れられていきました。なぜなら、大阪には喜劇が誕生する前から「笑い」が重視される素地があったからです。

武士の街である江戸では「笑い」は威厳がないと敬遠されがちでした。一方、商人の街・大阪では商売をする上でコミュニケーションが欠かせません。コミュニケーションを円滑にする「笑い」が人との距離を縮める上で重要な役割を果たしたのでしょう。喜劇が生まれた大阪・ミナミが「お笑いの街」として発展していくのは必然だったのかもしれません。

大正デモクラシーを追い風に女性の芸能界進出が加速。

(広瀬先生)さらに女性の進出が芸能界を盛り上げました。もともと女性の芸能人は古くからいたわけですが、江戸時代に入ると風紀が乱れるという理由で禁止されます。明治に西洋文化が輸入され、末期には女優の養成所がつくられるまでになりました。平塚らいてうによる女性解放運動の動きとも重なり、大正デモクラシーの雰囲気のもと、女性の社会参加の兆しが徐々に表れてきました。

「おちょやん」のモデルとなった浪花千栄子はこうした時代に道頓堀にいました。現在でも活躍する宝塚歌劇が生まれたのもこの時代。道頓堀では松竹楽劇部(後の大阪松竹歌劇団・現在のOSK日本歌劇団)が誕生し、大阪松竹座で第一回公演が行われました。時期を同じくして、宗右衛門町のお茶屋「河合」の芸妓たちによって結成された「河合ダンス」も、バレエやモダンダンスなどを取り入れ人気を博していました。

活躍する「おちょやん」こと浪花千栄子。喜劇から新喜劇へ現在へとつながる芸能文化

追手門学院大学の学生が演劇・喜劇に取り組む様子
追手門学院大学の学生が行う演劇の様子

的確に役を捉えて演じる女優、浪花千栄子

(編集部)時代に後押しされるように、松竹楽劇部が生まれたわけですが、そんな時代を体験し活躍した浪花千栄子はどのような喜劇女優だったのでしょうか。

(広瀬先生)非常に達者な役者さんであったと思います。セリフを自分の言葉として身体から発していらっしゃいます。また、自分だけが突出するのではなく、全体のバランスを考えた演技をされるという印象があります。さらに、これは完全な私のイメージですが、「湿度が低い」感じがするんですよね。すごく意地悪な役を演じたりもしているのですが、まとわりついてくるような嫌な感覚がありません。的確に役を捉え演じていたのではないかと思います。また、早口のセリフも非常に聞き取りやすいですね。幼少期を過ごした道頓堀で、芸能の世界で活躍するたくさんの人が行き交う街のざわめき、道頓堀時代の経験が浪花さんに及ぼした影響が大きかったのではないでしょうか。

喜劇から新喜劇へ、松竹新喜劇と吉本新喜劇の違いとは?

(編集部)この当時は喜劇ですが、今は新喜劇という呼び方もあります。新喜劇といえば、関西ではテレビ番組でもおなじみの吉本新喜劇が有名です。松竹新喜劇と吉本新喜劇、そもそも喜劇と新喜劇の違いはどこにあるのでしょうか?

(広瀬先生)喜劇と新喜劇は、劇団がどう名乗るかという名称の違いです。松竹新喜劇は歌舞伎の影響を受けており、ジャンルで分類するなら演劇分野でしょう。一方で吉本新喜劇は寄席の系譜で、どちらかというと演芸分野の一つとして捉えられるという違いがあります。松竹新喜劇は、新喜劇だけでひとつの公演がつくられますが、吉本新喜劇はもともと寄席で演じられていました。落語や漫才、マジックなど、いろいろなものを見せる中で、吉本新喜劇を上演するという形態です。もともと漫才師で吉本新喜劇の役者になった人もいますし、そのあたりが形態として大きく違っています。

松竹新喜劇は、ドタバタのコメディもありますが、人情味あふれる、ほろっとさせる場面も多く、ストーリーがしっかりとしていることが特徴です。また、役者は必ず登場人物の役名で出てきます。吉本新喜劇は、登場人物の役名も、芸名をもじったものや芸名そのままの名前が多く、演者の個性や身体表現の大きさで笑いを取る傾向にあります。人気の演者になるとだいたい自分のギャグを持っています。松竹新喜劇には襲名制度がありますが、吉本新喜劇にはないという点も違いますね。

脈々と大阪に息づく喜劇文化を守るために

(編集部)昨年から続くコロナの影響。大阪が誇る喜劇文化を守るために、オンラインを活用した取り組みや海外への展開なども考えられているのでしょうか?

(広瀬先生)コロナ禍において、オンラインでの上演など新しい方向性を探っていく必要性はあると思いますが、ライブ配信で雰囲気まで再現するのは難しい気もします。喜劇は「間」がとても重要。オンラインだと見る側の環境が様々に違いますので、どうしても「間」のズレが起こりがちです。喜劇は演じる側の「間」と観客が受け取る「間」が一致して初めて笑いが生まれますので、その点が課題ですね。

外国人に向けてという意味では、やはり「言葉の壁」「習慣・文化の壁」が大きな障害としてあります。「間」や言葉で笑わせる喜劇を、文化や生活習慣の違う外国人に面白く感じてもらうにはハードルが高いですよね。そうなると言葉がなくても笑える、身体表現を中心とした作品をつくりだしていくという試みがあってもいいのではないかと思います。

若者にとっては、古典芸能は「楽しむもの」ではなく「勉強するもの」?

(編集部)現在は喜劇や歌舞伎など、昔から受け継がれてきた芸能文化が薄れてきているのでしょうか?

(広瀬先生)吉本新喜劇はテレビ放送がありますので、認知度は高いですね。松竹新喜劇も以前はテレビでも定期的に放映されていましたが、現在は時折劇場中継があるくらいですので、自然と接する機会がなくなっています。学生も吉本新喜劇は知っていますが、松竹新喜劇はほとんど知りません。歌舞伎にしても存在は知っているものの、実際に観劇したことがある学生はほとんどいません。若い世代からみると、古典芸能は、見る前に勉強、知識が必要な教養として捉えられているのでしょう。

でも、分からないからと言って遠ざけてしまうのはもったいないと思います。たとえばスポーツを観戦する時、ルールを知っていればおもしろさが増します。それと同じで、芸能の決まりごとなどを少しでも知っていれば、より楽しめます。初めから全てを理解できなくてもいい。お客さんの観劇の仕方は自由です。文楽では三味線が演奏されますが、ギターやベースをやっている人からすると興味深いようです。他にも、大ヒットした映画「シン・ゴジラ」のゴジラには、狂言師の野村萬斎さんによる狂言の動きが活かされています。古典芸能に接するきっかけは、身の回りにたくさんあります。難しく考えずに、ぜひ一度観劇をしてみてください。古くから日本人に親しまれてきた古典芸能、きっと面白い世界が広がっていくと思います。

NHK朝ドラ「おちょやん」を上方芸能視点で見る楽しみ方

鶴亀家庭劇全員で作りあげた新作披露」の場面
(出典:ORICON NEWS「【おちょやん】第70回見どころ 鶴亀家庭劇全員で作りあげた新作披露」の場面 https://www.oricon.co.jp/news/2186929/)

「おちょやん」に描かれる劇中劇、上方演目のおもしろさ

(編集部)現在放送中のNHK朝ドラ「おちょやん」ですが、先生はどこに注目をされていますか?

(広瀬先生)「おちょやん」には、中村鴈治郎さんなど本職の歌舞伎俳優さんも出演されていますし、劇中劇のシーンもあります。そしてその場面を実際の歌舞伎の演出家が監修しています。ドラマの中で伝統芸能も楽しめるところは注目ですね。先日放映された劇中劇は、松竹新喜劇の演出家が監修していました。非常に見応えがありましたね。

上方芸能の演者も数多く登場、上方芸能の面白さに気づくきっかけに

(編集部)上方芸能という視点でドラマを見るおもしろさについて、教えて下さい!

(広瀬先生)「おちょやん」には、松竹新喜劇の現役の劇団員など上方芸能の演者も多く出演しています。また、出演者だけでなく、大阪ことばの指導者、関西を拠点に活動されている舞台人、音楽家、研究者などがたくさん制作に関わっているので、本格的な上方芸能にふれることができるドラマになっています。何の知識もなく見てももちろん楽しめるドラマですが、上方芸能について少し調べてから見てもらうと、より一層楽しめますし、面白い発見もあると思います。

この記事をシェアする!

プロフィール

広瀬 依子

広瀬 依子 (ひろせ よりこ) 追手門学院大学 国際教養学部 国際日本学科 講師

1989年~2016年  雑誌『上方芸能』編集部 編集者(2008年より編集長)
2008年~2009年  大阪樟蔭女子大学 学芸学部 非常勤講師
2016年~2018年  追手門学院大学 社会学部 非常勤講師
2017年~2018年  立命館大学 産業社会学部 非常勤講師
2018年~     追手門学院大学国際教養学部 講師
2021年~     追手門学院大学上方文化笑学センター長

主な共著書に
『上方芸能事典』 2008年、『日本の伝統芸能』2007年

研究略歴・著書・論文等詳しくはこちら

取材などのお問い合わせ先

追手門学院 広報課

電話:072-641-9590

メール:koho@otemon.ac.jp