いま、新型コロナウイルスによって世界が分断され、人と人との交流がままならないなかで、不安と恐怖、隔離によるストレス、偏見と差別、錯そうする情報がもたらす混乱などが浮き彫りになっています。古くはペストや天然痘、スペイン風邪、エイズ、インフルエンザ、SARSそして新型コロナウイルスと、人類の歴史はまさに感染症との闘いの歴史であり、何度となくパンデミックによる混乱と恐怖を体験してきました。それらを当時の人の視点で描き出し、時代を映す鏡となってきたのが文学作品です。文学はパンデミックをどう描き、新型ウイルスと闘う現在、そして未来の人類に何を教えてくれるのか。今回は、文学を通してアメリカの社会問題などを研究する、国際教養学部の増崎恒先生に話を聞きました。
INDEX
アメリカ文学にみるパンデミックの歴史
パンデミックとは何か
(編集部)アメリカ文学でパンデミック(pandemic)を確認できるのはいつでしょうか?
(増崎先生)パンデミック(pandemic)は「感染症の世界的な大流行」を意味しています。この言葉が英語圏で用いられ始めたのが17世紀半ばでした。ヨーロッパからの入植者たちが、北米大陸に植民地を建設しアメリカ合衆国を形成する過程で、先住民(Native American)たちと衝突していた時期と重なります。最初期のアメリカ文学である当時の記録文書の1つにもパンデミックが記されています。
これは文学からは少し離れますが、pandemicという語中のdemiは「民衆」を意味しています。語源をたどると、pan-は「すべて」、民主主義=democracyにも含まれるdemoは「人々」や「民衆」という意味。つまり、厳密には「感染症の世界的流行」ではなく“民衆のありよう”を表しているのです。“民衆のありよう”とは、社会における民衆の状態のこと。少し難しいかもしれませんが、言葉本来の意味を考えることは、パンデミックの歴史を振り返り、新型コロナウイルスと向き合う上でも重要です。
アメリカ文学に描かれたパンデミック
(編集部)ペストから天然痘、コレラにエイズまで、17世紀以降に起こったパンデミックについて取り上げたアメリカ文学の作品にはどのようなものがあるのでしょうか。
(増崎先生)時代別に代表的なものを列挙してみましょう。繰り返しにはなりますが、17世紀、聖職者たちによって書かれた記録文書の中でコレラをstroke of God=“神の一撃”と表現しています。先住民を苦しめた感染症であるコレラは、入植者にとっては神によって与えられた武器であり、まさに“一撃”と考えることで、植民地政策を正当化する根拠として理解されたのです。
18世紀にはベンジャミン・フランクリン(※1)が自著の中で、人々が守るべき道徳的な指針の一つとして「清潔」を掲げています。これは、コレラ等の感染症が「不潔」によって広がるという思想を先取りし、かつ道徳と結び付けたという点が特徴です。19世紀に入ると、のちに江戸川乱歩に多大な影響を与えた作家エドガー・アラン・ポー(※2)がフランスでのコレラ流行とパニックをモデルにした短編を著しました。一方、スティーヴン・クレイン(※3)は、スラム街を舞台とする小説『街の女マギー』で、「清潔」「不潔」の対比をことさらに強調し、伝染病や死をもたらす象徴としてスラム街の不潔な環境を語っています。また、マーク・トウェイン(※4)は、代表作の中でコレラ菌に変身した主人公ハックルベリー・フィンが細菌の世界で生活する様子を描きました。
20世紀には、エイズのパンデミックに見舞われた1980年代のアメリカ合衆国を背景にした作品が登場します。当時、エイズがセクシャル・マイノリティの人たちの病気だと考えられていたことを受け、スーザン・ソンタグ(※5)は、著書『エイズとその隠喩』の中で、ほかの伝染病と同様に道徳的な“負のイメージ”で捉えられている問題性を指摘。21世紀の初頭には、新種のウイルスに感染したアンデッドが人々を襲うパンデミック状況を描いた映画『バイオハザード』が人気を博しました。原題は『内在する道徳的な悪(Resident Evil)』で、入植以来の感染症に対する倫理観や道徳心を映し出しています。
このように、17世紀には先住民征服のための武器、18世紀から19世紀にかけては清潔信仰、20世紀にはエイズ患者への差別意識の象徴として描かれてきたパンデミック。アメリカ文学の伝統的な題材として脈々と受け継がれているのです。
(※1)アメリカ合衆国建国の父の一人、100ドル紙幣の肖像として使われる政治家、文筆家。『自伝』で自らの信念を13の徳目として記している。
(※2)アメリカ合衆国の作家・詩人。推理小説の父と呼ばれ、後世に多大な影響を与えた。
(※3)19世紀末のアメリカ合衆国で執筆活動を行った作家・詩人・ジャーナリスト。アメリカ自然主義文学の先駆者。
(※4)19世紀のアメリカ合衆国を代表する写実主義作家。『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』など、自伝的小説で今日のアメリカ文学にも多大な影響を与えている。
(※5)20世紀のアメリカ合衆国で執筆活動を行った女性批評家・作家。芸術や医療、政治など幅広い分野について批評活動を行った。
19世紀コレラと新型コロナウイルス
コレラ大流行による社会・人々の変化
(編集部)ここまで、アメリカ文学からパンデミックの歴史を振り返りました。時代によって捉え方が全く違いますね。コロナ禍にある現在、感染者を責めるような風潮が依然みられますが、同様のことがアメリカ合衆国でも起きていたのでしょうか。
(増崎先生)類似した状況が、19世紀のアメリカ合衆国で流行したコレラによって起きていました。現在の日本と同様に、道徳的な観点から感染者は「不名誉」とされたのです。コレラは、発症後の致死率がほかの感染症に比べて群を抜いて高い伝染病であったため、「不可解で、追跡不能な死、迅速かつ恐ろしい死」をもたらすとされました。感染経路が不明、感染者の容体が急変する場合があるなどの点で、新型コロナウイルスと共通していますね。
そもそもコレラはインドの風土病。インドで罹患したイギリス人が自国に持ち帰り、ヨーロッパから世界中に拡散されました。当時のイギリスは、ヨーロッパ各地からの移民が集まる中継地点。ここからアメリカ合衆国を目指す移民の約80%が、当代随一の国際都市だったニューヨーク市に到着しました。1890年代に、移民の玄関口ニューヨーク市をコレラ流行が直撃。フィラデルフィアからボストン、シカゴといった現在もアメリカ合衆国を代表する諸都市を経由して全米に広がったわけです。
また、下痢・嘔吐による脱水症状がもたらす外見の変化が際立ち、より一層「不名誉な死」とみなされたため、特に中産階級の間で恐怖の対象となりました。同時代のニューヨーク市を拠点に活動していたスティーヴン・クレインが書き連ねているように、中産階級の間で、コレラはスラム街などの「不潔」な環境で流行し、貧困にあえぐ移民たちを含む「不潔」な人々が拡散していると信じられていたのです。しかし、こうした考え方も、清潔の徹底と移民の隔離政策によって国内での流行が表面的に抑えられたこと、そして1914年の第一次大戦勃発が重なりうやむやになっていきました。
現在にも通じる清潔信仰
(編集部)清潔・不潔への概念が道徳心に結びつき、移民や貧民層の人たちへの差別や偏見を助長させたのはなぜでしょうか。
(増崎先生)一つのきっかけとなったのは、コレラが収束しない1893年にシカゴで強行に開催された万国博覧会。コロンブスによるアメリカ大陸発見400周年を記念したものでした。白塗りされた建物が並ぶメイン会場は「ホワイトシティ」と呼ばれ、ホワイト=清潔が全面に押し出されました。さらに大衆向けの雑誌は石けんの広告を掲載。石けんと文明を結びつけるような表現で、清潔こそが文明人の証であると宣伝したのです。合わせて、当時のルポルタージュによると、ニューヨーク市は移民の子どもたちが通うスラム街の学校で「石けんの正しい使い方」の指導を押し進めました。現在のコロナ対策としての「消毒の徹底」に通じていますね。
(編集部)過去と現在のパンデミックには共通点があるようですが、ほかに類似点・相違点はありますか?
(増崎先生)19世紀末のコレラと新型コロナウイルスの類似点として、感染者を悪とし、感染することを不名誉とみなす風潮、隔離政策(ソーシャルディスタンス、感染者の隔離)、迷信の流布、世界のグローバル化に伴う複数国家にまたがる人とモノの移動などが挙げられます。一方で、新型コロナウイルスはコレラに比べて致死率が低く、衛生状態や医学水準は今の方が高いという点でコレラと異なります。コレラは、その致死率の高さゆえに新型コロナウイルス以上に感染・発症に対する強い恐怖心を引き起こしていたと推察されます。
教訓としての文学作品
文学に描かれたとき、パンデミックは収束する
(編集部)パンデミックを描く文学作品はどのように生まれるのでしょうか。
(増崎先生)対象となる感染症や社会的な混乱が、ある程度収まった段階で書かれているのが特徴です。現時点での新型コロナウイルスがそうであるように、その渦中にあると対象との距離が近すぎて情報が錯乱しています。創作という形で情報整理が始まって“距離化”が進み、ストーリーが完結することで“オチ”が付く。そこで初めて、医学的にではなく、社会文化的にパンデミックが“収束”(あるいは終息)すると考えています。新型コロナウイルスに関しても、こうした段階を経て、フィクション・ノンフィクションを問わず、一連の出来事をテーマにした創作が生まれるでしょう。
アフターコロナはどう描かれるか
(編集部)では、アフターコロナの社会では、どのような文学が生まれると考えていますか?
(増崎先生)冒頭でお話ししたように、pandemicには「民衆」という意味が含まれていて、民主主義を意味するデモクラシー(democracy)のdemo-にも通じています。パンデミックは、「民衆」なしには成立し得ません。グローバル化と人の交流、民主主義のあり方が、今回の新型コロナウイルスの世界的流行と深く関わっているのです。アフターコロナの社会では、人と人の新しい関係性をふまえた上で、世界のリーダーを公言するアメリカ合衆国をも巻き込んだ民主主義の新たなステージを描き出すような文学が生まれるのではないかと思います。
文学による未来への警鐘
(編集部)現在、アメリカ合衆国における新型コロナウイルスの死者は45万人超。パンデミックによる悲劇は繰り返されています。文学の役割、また私たち読み手が文学から学ぶべきこととは何でしょうか?
(増崎先生)文学作品を読み返すと、これまでアメリカ合衆国で起こったパンデミックに対して、先住民やスラム街の住人、セクシュアル・マイノリティといったある特定のエリアや集団を「原因=悪」として封じ込めようとしてきたことがわかります。また、そうした考え方が差別を助長させ、感染拡大を進める結果となっていたこともうかがえます。過去の文学作品から学ぶべきは、“距離化”が進むとともに情報が“統制”され、政府にとって不都合な真実が“隠蔽”される段階に至るという事実です。文学作品はあくまで時代の産物であり、書き手個人の経験、立場や思想が反映されます。フィクション・ノンフィクションを含む、さまざまな書き手の作品を多角的に再評価し、客観的視点で収束のその先を探る姿勢が大切です。
前述のように、過去の文学作品は時代を映す鏡であり、固着したメッセージを含んでいます。危惧するのは、文学離れが進むことで、こうしたメッセージを受け取る機会が失われていくこと、そしてパンデミックが収束することで特定の人々しか語らなくなること。これは、感染症だけでなく、二度の世界大戦や9.11、東日本大震災などにも通じるかもしれません。文学は「今日に通用する行動規範」を顧みる指針として機能し得る、という視点に今一度立ち返るべきではないでしょうか。また、現在は文学に代わる新しい情報媒体(SNS、ブログ、動画配信サイトなど)が急速に普及し、そこから発信される「パンデミックの情報」が「情報のパンデミック」と混在する混乱状況が発生してしまうことも大きな問題になっています。
次のパンデミックに備えるには、こうした文学作品を指針として再評価し、私たち文学研究者を含む読者もまた新たな語り手として、未来に向けた警鐘を鳴らす役割を等しく担うべきではないでしょうか。
まとめ
文学は、その時代を生きた人たちの目を通して、「病」そのものだけでなく、当時の価値観や思想を時に生々しく教えてくれるものだという発見がありました。アメリカ文学執筆活動においては、建国以来ずっと抱えてきた問題の根深さも垣間見えます。そして、SNSの急速な普及によって、日々大量の情報が行き交う現代だからこそ、情報を受け取る私たちには冷静に、客観的に読み解く力が求められているとも感じました。