2021年2月からスタートするNHK大河ドラマ『青天を衝け』で主人公として描かれる渋沢栄一。「近代日本資本主義の父」とも呼ばれる渋沢栄一は、2024年から導入される「新1万円札の顔」としても注目されています。そんな渋沢栄一の人柄や功績を足がかりに、意外と知られていないお金にまつわる知識や、「お札の顔」に選ばれた背景やその過程などについて、渋沢栄一と同じ元財務官僚であり、造幣局理事長も務めた経営学部の百嶋計教授の解説です。
INDEX
そもそもお金とは、紙幣と貨幣(硬貨)
日本のお金の種類とその発行元、硬貨のヒミツ
(編集部)2019年4月に新紙幣の発行が発表され「渋沢栄一」が選ばれるなど話題になりました。まずは日本の「お金」についての素朴な疑問を質問させてください。1万円や5千円、千円の紙幣と500円や10円など「〇〇円玉」とも呼ぶ硬貨があります。紙幣と硬貨それぞれ発行元が日本銀行と日本政府で異なっています。なぜ違うのですか?
(百嶋先生)昔は金や銀を「お金」として扱っていましたが、金や銀そのものは取扱いが大変です。そこでやがて、金や銀との交換を保証する紙をもって取引を行うようになりました。これが紙幣の始まりです。日本の江戸時代には藩が発行し、明治になって政府や複数の国立銀行が紙幣を発行していましたが、大量発行によりインフレを招いたことから、政府から独立した日本銀行が発行することとなり、紙幣は日本銀行券に限られるようになりました。日本銀行券は国立印刷局が製造しています。一方、硬貨は法律上「貨幣」と呼ばれ、古来のお金と同様金属でできていて、かつては正貨である金に対する補助貨幣と位置付けられました。額面が少額であり、こちらは日本政府が発行し造幣局が製造しています。なお、発行主体は異なりますが、紙幣も硬貨もその流通については、中央銀行である日本銀行が一元的に担うこととされています。
こうしたことも、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」などの法律で定められているのです。また法律では、「通貨」を「貨幣」と「日本銀行券」と定義しています。硬貨の取引における強制通用限度が、額面価格の20倍までということも規定されています。 紙幣は日本銀行が、硬貨は財務省が、相互に連携しながら経済の状況や市場に流通しているお金の量を見極めながら発行量を定め、いずれも財務大臣が製造計画を作成します。そして日本銀行が国立印刷局に、財務省が造幣局に、それぞれ製造を発注するという流れです。
(編集部)百嶋先生は造幣局の理事長でしたが、特に硬貨についてその発行量はどのように決められているのですか?
(百嶋先生)硬貨(貨幣)については、流通状況、市中からの回収・鋳つぶしの見込みなどを勘案し、年度ごとに貨幣の製造枚数が決められます。これは国会において審議・議決される予算に計上されている「貨幣製造費」にも関わってきます。そして製造計画枚数は財務省のホームページにも掲載されています。
2014年に消費税が5%から8%に引き上げられた際には、1円硬貨の需要増を見込み製造量を大幅に引き上げました。政府としてキャッシュレス化を推進しているため、全体的な発行量は今後減少傾向になっていくと予想されますが、日本ではまだまだ現金に対する信頼が厚く需要が高いため、諸外国と比較すると貨幣の発行・流通量は多いと言えるのではないでしょうか。
偽造防止のための高度な日本の技術
(編集部)百嶋先生は、500円硬貨のデザイン変更への取組みにも関わられていたそうですが、デザインを変更するのはなぜでしょう?
(百嶋先生)経緯を振り返ると、まず1982年に初めて導入された500円硬貨は、偽造貨幣の増加に伴い、2000年に全面的に刷新されました。実は、500円相当の価値がある硬貨というのは、世界的に見ても流通する硬貨の中ではかなり高額なのです。そのため、偽造を防ぐ一層高度な技術が必要でした。見た目のデザインこそ大きな変化はありませんでしたが、大量生産型貨幣では世界初となる側面の「斜めギザ」や、角度によって棒や数字が浮かび上がる「潜像加工」など、より複雑で高精細な偽造防止加工が施されました。このように500円硬貨は偽造されると経済に与えるダメージが大きいため、常に「次のデザインをどうするか」も研究して検討しておかなければならないのです。
新紙幣よりも先に今年刷新される500円硬貨は、二色三層構造の「バイカラー・クラッド」(※)や「異形斜めギザ」と呼ばれる新技術を導入していますが、市場に流通する硬貨で採用される前に既に「記念貨幣」という形で世の中に出してきているのです。お金の刷新は国民経済的なコストが大きいため、円滑な移行が求められます。これらの記念貨幣を次世代の新貨幣としてテストを重ねることにより、自動販売機やATMを製造するメーカーは新貨幣に対応する準備を早くから始めることができました。実はそうした役割も、記念貨幣は担っていたのです。なおそれでも、コロナ禍のために自販機等の入替作業が遅れるとのことで、新貨幣の発行時期は当初予定の2021度上期から延期する方向で検討されることになりました。
(※)異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟み込む「クラッド」技術でできた円板を、それとは異なる種類の金属でできたリングの中にはめ合わせる「バイカラー」技術で組み合わせたもの。「近代日本資本主義の父」渋沢栄一が大河ドラマで登場
新紙幣の顔 渋沢栄一とは。略歴と功績
(編集部)お金、特に硬貨について整理してもらいました。次は紙幣、新しい一万円札の顔になった渋沢栄一についてです。新紙幣の顔に選ばれたことで一躍有名になり、2021年2月にスタートするNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公ですが、渋沢栄一とはどんな人だったのでしょう?
(百嶋先生)1840年、武蔵国(現在の埼玉県深谷市)の藍玉づくりや養蚕を営む農家で生まれた渋沢は武士に転じ、のちの15代将軍となる一橋慶喜に仕え、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し頭角を表します。27歳の時、パリ万国博覧会幕府使節団に加わり渡欧。ここで産業や各種制度など、欧州諸国の実情に見聞を広めました。大政奉還後は新政府の一員として、当時一体であった大蔵省・民部省に設置された改革チーム、「改正掛」のリーダーとして出仕。財政制度や通貨制度の導入など、今の時代につながる新しい制度を作りました。
その後33歳で大蔵省を辞めた渋沢は、民間でたくさんの会社の設立に関わることとなります。新しい制度や試みを自ら実践し、成果を挙げていく。株式会社だけでなく、日本初の近代銀行である第一国立銀行や東京株式取引所などの設立にも関わり、日本経済に大きな影響を与えました。まさに、日本の資本主義経済の仕組みをゼロから作った人だと言えるでしょう。
税金、通貨、銀行の各種お金に関わる制度の生みの親、それが渋沢栄一
(編集部)渋沢栄一は、明治政府の大蔵省(現財務省)の一員として、日本の近代資本主義の形成に深く関わったということですが、「大蔵省の後輩」にもあたる百嶋先生から見て、渋沢栄一のすごさはどこにあると思いますか?
(百嶋先生)「後輩」というのも恐れ多いことです。渋沢が作った制度は、税金の制度、通貨制度、銀行の制度、国債の制度など多岐に渡りますが、そのどれもが現在の経済・財政の基盤となっています。例えば税金の制度としては、お米で納める「年貢」からお金で納める「地租」へと改革する、その最初の仕組みを作りました。また、大蔵省を辞めた後も、渋沢自身が自らの財閥を興すのではなく、多くの株式会社の設立に関わったというのは、自分自身の儲けよりもたくさんの人に多様な会社を作ってもらいたい、互いに発展し日本の国力を高めたい、という気持ちがあったからではないでしょうか。
そういった意味でも、やはり渋沢は「日本資本主義経済の父」と呼ぶにふさわしい人物だと言えるでしょう。また、明治維新で薩摩・長州出身者を中心に政治が展開していくなかで、武蔵(埼玉)の幕臣であった渋沢栄一が登用され、経済という大切な基盤を築き、近代化に大きく貢献しました。その点も素晴らしいですね。
「新しい生活様式」、新しい経済社会への転換が求められ、国が様々な困難に直面している今の時代にこそ、前例が何もないなかで「無から有をつくる」、渋沢栄一のような人材が求められるのではないでしょうか。
なお、折しも今年は近代通貨制度ができてちょうど150周年という記念すべき年です。記念貨幣も発行されますので、ご注目下さい。ちなみに造幣局、国立印刷局も創業150年となります。
お札の歴史と渋沢栄一
「お札の顔」に選ばれる人物の条件
(編集部)2024年、約20年ぶりに紙幣のデザインが刷新されることが発表されましたが、渋沢栄一が選ばれた際に、「実は候補にあがったのは2回目」「ひげがないから落選した」といった話が話題になりました。「お札の顔」となるには条件や共通点があるのでしょうか?また、なぜ紙幣のデザインを変える必要があるんですか?
(百嶋先生)偽造防止対策の強化を目的に、紙幣はおおよそ20年サイクルで刷新されます。「お札の顔」として、以前は伊藤博文などの政治家が選ばれることもありましたが、1984年の改刷以降は福沢諭吉など「明治以降の文化人」というカテゴリーから選ばれるようになっています。本人の功績や、教科書に載っているなど知名度があること、また人物像の精密な写真や絵画を入手できるという点も条件となります。
ご指摘のように、かつては偽造防止という観点から、聖徳太子、夏目漱石、新渡戸稲造など、「ヒゲがある人」が望ましいとされていたようですが、現在は「ホログラム」などより精度の高い偽造防止技術があるため、必ずしもヒゲがあることは必須ではなくなりました。なお、新千円券に採用された北里柴三郎はヒゲのある男性ですが、新5千円札には現在の樋口一葉に引き続き、近代的な女子高等教育に尽力した津田梅子が採用されています。
なぜ渋沢栄一が「お札の顔」に選ばれたのか。お札の前に硬貨になっていた!?
(編集部)今回、改めて渋沢栄一が1万円札の肖像として選ばれた背景とねらいはどういったものだと先生はお考えですか?
(百嶋先生)明治維新直後の不安定な時期は、新政府の太政官札や江戸時代からの藩札が混在しており、紙幣流通も混乱していました。その紙幣の統一を図ったのが大蔵省紙幣司。渋沢はその初代「紙幣頭(現在の国立印刷局理事長に当たる)」でした。もともと紙幣に非常にゆかりの深い人物のため、今回1万円札の肖像に選ばれたと知った時は「選ばれるべくして選ばれた」という思いを抱きました。
ちなみに、渋沢が「お金の顔」となるのは、2024年の1万円札の刷新が初めてではないということをご存知でしょうか?日本銀行券としては今回が初めてですが、実は2014年に、渋沢栄一を肖像とした千円銀貨幣が発行されています。地方自治法施行60周年を記念し、47都道府県ごとのデザインをあしらった記念貨幣を発行するプロジェクトにおいて、埼玉県の記念貨幣に渋沢と川越の「時の鐘」、埼玉スタジアム2002がデザインされました。造幣局で私自身このプロジェクトに関わることができたことはとても思い出深いものがあります。
なお、国王など元首の肖像を描く諸外国と異なり、日本では伝統的に硬貨には人物は描かれなかったのですが、実在の人物が描かれた硬貨としては「渋沢栄一」をはじめとしたこのシリーズが初めてなのです。
昨年から続く新型コロナの影響で世界中が混乱し、「新しい生活様式」が求められる今日。今までの常識が通用しない、そんな時代だからこそ、渋沢栄一が新1万円札の顔となることは、きっと大きな意味を持つはず。今までの常識にとらわれず、新しい発想で力強く経済を推し進めていく。そんな成長戦略に、まさにぴったりな人物なのではないでしょうか。
当時の経済を知れば、大河ドラマをより楽しめる
(編集部)最後に、大河ドラマについて、知っているとよりドラマを楽しめる知識、そして百嶋先生が楽しみにされているドラマのポイントを教えてください。
(百嶋先生)幕末から明治にかけての大きな変革の時代において、今の日本につながる経済制度の基礎を作り、活躍した渋沢栄一。年貢から税金へと変わり、近代紙幣や貨幣ができていく過程、そんな経済的な当時の時代背景を知っておくと、渋沢の功績の大きさがよく分かり、より楽しめると思います。
個人的には、大隈重信や大久保利通、井上馨、五代友厚といった、幕末から明治にかけて活躍をした偉人たちと、どのような関わりで描かれるのかが楽しみですね。また、薩摩藩士から明治政府役人として造幣局の創業にも関わり、その後実業家となって、商都大阪の基礎を作り上げた五代友厚は、「東の渋沢、西の五代」と並び称されていました。その五代を主人公として描いた映画『天外者(てんがらもん)』と合わせて見ていただくと、きっと新たな発見があるはずです。
まとめ
幕末から明治にかけての激動期に、現在の日本経済の基礎となる新しい制度をゼロからつくりあげる。そのような想像を絶する偉業を、高い志を持って成し遂げた渋沢栄一。 普段、何気なく使っているお金も渋沢栄一あってのことで、お札の顔になるのも当然だと思いました。一方で、記念硬貨とはいえ、すでに「お金」の顔になっていたんですね。
NHK大河『青天を衝け』で渋沢栄一役を演じる吉沢亮さんは、インタビューで「今まで当たり前だったものが崩れた現代は、幕末とも共通している。こんな時代だからこそ、エネルギッシュで前向きな作品を届け、落ち込んでいる日本を勇気づけられたらうれしい」と語っています。渋沢氏が「1万円札の顔」となる2024年からの20年余りで、日本の経済が再び力強く前進するのではないかと、未来への期待を抱くことができました。